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frank zakki fz7
「ものつくり」 |
とにかく何かを作るのが好きだった。積み木、ブロック、クレヨン、砂場・・・・・・。遊び出したら止まらない。1日飽きずに遊んでる。「だから手が掛からなくて楽だった」 ・・・オフクロがよく言っていた。
実際に、ガキの頃の記憶を辿ると、何かを作ったシーンばかりを思い出す。オヤジ、オフクロ、兄弟、友達・・・ひとの記憶はあまりない。
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いよいよ日本がおかしくなってきた。支持率9%のアホ首相。膨れるばかりの財政赤字。一向に進まない構造改革。それをボケーっと指をくわえて見ているだけの日本人。国際社会での信用も競争力もすっかり落ちた。ITの分野では、香港やシンガポールどころか韓国にまで追い越されてしまった。
「もはや戦後ではない」から45年。
「もはや先進国ではない」
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紙ヒコーキを作るのが得意だった。本にある折り方だけじゃつまらない。
「もっと飛ぶ、もっと面白いヒコーキを作るんだ。」
いろんな折り方を次々試した。
そして完成。紙ヒコーキの常識を覆す正方形のフォルム。
いざ飛ばしてみる。まっすぐ飛ぶのは苦手だが、曲芸飛行で飛んで行く。
「大傑作だ!」
ジイさんに見せたら「天才だ」と誉めてくれた。オレに「春萌」と名付けてくれたジイさんだ。
今となっては単なる思い出。折り方すらも忘れてしまった。
ガキのオレには、記録を残しておくという発想がなかった。
教訓其ノ壱=いくらスゴイものを作っても、残せなかったら意味がない。
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最近の日本を見ていて思うこと。モノ作りが下手になった。確かに不況の真っただ中。昔みたいに金はない。滅多ヤタラにゃ作れない。でもモノ作りが上手だから、日本は伸びてきたんじゃなかったのか?自動車、カメラ、時計にビデオにウォークマン。いいものを作り出したから、世界で認められてきたんじゃなかったのか?
いや、下手クソという以前にヤル気が無いのだ。ヤル気がないから政治まかせ、マスコミまかせで済ませてしまう。何を作るべきなのか。何を作らないべきなのか。そんな基本的な議論すらない。不況だ、不況だと悩むだけ。無駄だ、無駄だと叫ぶだけ。だから政治家や官僚が、自分達の都合だけでモノを作ってしまう。
例えば整備新幹線。バラマキの象徴と予算が出るたび騒がれる。
でもちょっと考えてみよう。今年度の国家予算。整備新幹線は350億円。無駄な金だと騒がれた。でもこれは国家予算85兆円の0.04%。公共事業費の9.4兆円の0.3%に過ぎない。借金が膨らむ中、公共事業費は確かに使いすぎだ。でも整備新幹線だけ見なおししたところで何にもならないのである。
ところで350億円はどのぐらいの金額か?今年度予算から例を挙げる。ミサイル艇の購入が300億。ゲノム研究費が600億。在日米軍に2,600億。
ちなみに都市の鉄道整備は820億円である。
今度は総事業費ベースで見てみよう。まあ、総事業費なんてウソっぱちもいいところ。作ってみたら2倍かかりましたなんてこともザラだから信用出来るようなもんじゃないけど、まあ大まかな目安として読んで欲しい。
八戸-青森間がスーパー特急方式で4,600億。長野-上越間が同じ方式で3,000億。博多-八代間がフル規格で4,800億。合計1兆2,400億
円。(実際は全区間フル規格に格上げされているのだが政府のHPに見当たらないので、この数字で我慢してくれ)
1兆2,400億円。12年で作る計画だから1年あたり1,000億円。確かに金がかかる。しかし今さら言ってもしょうがないが、東京湾アクアラインな
どという観光名所にしかならないようなモノに1兆4,400億かけているのだ。これからだって、ダムを1つ作ると1,000億円かかる。神戸新空港は
3,100憶円かかる。環境問題や高齢化問題の観点からみても、整備新幹線以前に見直すべきものが山ほどある。
新幹線をドンドン作れと言ってるのではない。もっとちゃんと考えろと言いいたいだけだ。何のため、誰のために作るのか?費用はいくらか?効果はあるか?
モノ作りの視点に立てば誰でも考えることを、今の日本は考えようとしない。そのイイ例が整備新幹線なのだ。
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図工の授業で風車を作った。先生の指示のとおりじゃつまらない。
「もっと回る、もっと面白い風車を作るんだ。」
いろんな改良を次々試した。
そして完成。軸の抵抗を減らすため羽根の穴を大きく広げた。
いざ回してみる。
どんなに風が吹いてても、軸がブレ過ぎ回らない。
「失敗作だ!」
先生に見せたら「マヌケだ」と笑いやがった。親に配る学級通信にまで書きやがった。
今となっては単なる思い出。書かれたことも忘れてしまった。
ガキのオレには、考えてから作るという発想がなかった。
教訓其ノ弐=ちゃんと考えてから作らないと、上手くいかないことが多い。
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話が整備新幹線に偏ってしまった。
だがオレが本当に憂えてるのは、もっと大きなこと・・・・・・ひとりひとりの日本人に起きつつある、モノをつくる意欲の喪失だ。意欲がないから興味を持たない。考えようとさえしない。
モノをつくること。それは人間の進化であり、歴史であり、精神であり、活力であり、希望である。それを放棄した先に、未来があるとは思えない。
士農工商。江戸時代の身分制度では農業、工業が偉かった。商業よりも偉かった。ところがいつの間にか商業が偉くなってしまった。モノを作らない人間の方が作る人間よりも収入が多い。いつしかそういう社会になってしまった。そして行き着いた果てがバブル崩壊。銀行、証券、不動産。何も作らぬ人間が威張って調子に乗り過ぎた。
・・・・・・でも、ただそれだけのことだ。日本人のモノ作りが否定されたわけじゃない。
だから基本に帰ればいい。地道にモノを作ればいい。
今からだって遅くない。
日本の出口はそこにある。
2001.2.20. 宮原 春萌(identity market 代表)
<「IM... identity market 28号」(2001.3.1.発行)より転載>
●解説● 前回に続き「がんばれニッポン」な作品。新世紀気分で書いているのがありあり。ちと恥ずかし。だが、批判よりも提案する人間でありたいというのがオレの信念とするところ。これでいいのだ。
「何も作らぬ人間が威張って調子に乗りすぎた」というのは、単なる批判ではなく、(かつてそういう人間のひとりであった)己への戒めの言葉でもある。税金で救済される立場になっても平然と高給を取り続ける銀行マン連中に比べりゃ、ぜんぜん、まともだったと思うけどね。(2004.2.26)
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