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不乱苦雑記 frank zakki fz6
「未来日記」

 オレがちっちゃなガキの頃、未来の世界はバラ色だった。
 リニアにアポロにコンコルド。ニュースの向こうに未来が見えた。
 空飛ぶクルマに宇宙基地。絵本の向こうに自分が見えた。

 オイルショックに公害病。ある朝未来が色あせた。
 そのときオトナはこう言った。
 「どんまい。どんまい。がんばってこうぜ!」
 未来はやっぱりバラ色だった。

 高齢社会に温暖化。今や未来はまっくろけ。
 未来はいまより悪くなる。オトナは未来を嘆くだけ。
 未来はコドモの命綱。
 未来を失いコドモはキレる。

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 3年前、オレは誌面でこう書いた。
 第10号。
 PARCOを辞めて独立し、IM続ける決意をした号。
 どんな犠牲を払っても、IM続けて社会を変えると決意をした号。

 それから3年。事態は全く変わってない。
 新世紀迎える今に至っても、オトナは未来を描けない。
 膨れ続ける借金と、しぼみ続ける未来の希望。
 むしろ事態は悪化の一途を辿ってる。

 もちろんたかだか3年で、片付く事ではないのだが。

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 『未来日記』
 初対面のシロウト男女が、次々に示されるシナリオどおりにドラマを演じる。そして演じていくうちに芽生えてくる、ホンモノの恋愛感情を描く。サザン、フクヤマ歌う主題歌と共に、今年大ヒットした番組企画。『電波少年』のパクリと いう気もするが、確かにアイデアは面白い。

 だがオレは、アノ番組が好きになれない。
 ドラマの力を借りて本当の愛を告白するなんていう展開になると、それくらい自力でやれよと情けなくなってくる。ゲームだヤラセだと言ってしまえば身もフタもないのだが、単なる勇気のなさ、実行力のなさを「プラトニック」という言葉でごまかすストーリーが成立してしまうこと自体に呆れてしまう。
 「マニュアル少年」のなれの果て。そういえば一時期大流行したマニュアル少年批判も、すっかり影をひそめてしまった。

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 3年前、アメリカのNASAが火星探査機を打ち上げた。そのときのニュースの写真を見てびっくり。司令塔の壁面に「エンタープライズ」のポスターが!そう、『スタートレック』の宇宙船。
 世界のトップに君臨しても、今なお夢を掲げる勇気。
 壮大な、夢を素直に持つ勇気。
 アノ国がのさばる理由がココにある。
 Dreams Come True.
 ・・・・・・いい言葉だ。

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 20世紀が終わろうというのに、21世紀が始まろうというのに、「20世紀を振りかえる」ブームも「21世紀を予想する」ブームも一向に起きない。いつもの記念日好きな性分はどこへ行ったのか?10年も、20年も昔から、21世紀、21世紀とあれほど騒いできたというのに、いよいよあと半月で世紀が変わるというのに、日本の世紀末は不気味なほど静かだ。

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 バブルがはじけ、成長神話が日本を去って約10年。
 マスコミで踊るのは「不況」「不景気」の文字ばかり。
 確かに10年前よりは貧乏になったかもしれない。でも20年前と比べりゃ今のほうがダントツに金持ちだ。
 10年前には持てなかったパソコンが、5年前には持てなかったケイタイが、今じゃ持つのがアタリマエになってきた。日進月歩で便利になった。毎年豊かになってきた。
 それだというのに「不況」におびえ、「景気対策」なんたらで、むやみに借金重ねるばかり。1回挫折しただけで、やる気を無くしてイジケてキレる。
 やっぱりコドモは社会の鏡。オトナが変わらにゃコドモは変わらん。

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 最近つくづく思うこと。
 ネコもカシコも未来が見えない。見えてない。
 不透明な未来におびえ、未来を見ようとしていない。
 だから世紀も変わるのに、未来がちっとも話題にならない。
 100年先を見ろとは言わない。
 20年後。30年後。
 せめて自分が生きてるはずの、近い未来は見るべきだ。
 どんな日本にしたいのか?
 どんな自分になりたいか?
 みんなが自分で考えるべきだ。
 大きな夢と目標を持って、オトナがコドモを引っ張るべきだ。

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 未来を語れぬ人間に、未来は決して微笑まない。

 「笑う門には福来る」
 オレが好きなことわざだ。

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 いまオレたちは、喪失した未来を創出せねばならない。
 日記は自分で書くものだ。
 たとえ未来の、
 日記であっても・・・。


2000.12.18. 宮原 春萌(identity market 代表)
<「IM... identity market 27号」(2001.1.1.発行)より転載>

 

●解説●
 本文でも書いている通り冒頭の詩は98年3月に発表したものだが、一番伝えたいメッセージとして、21世紀の最初の号に再掲載した。再掲載するぐらいだから、当然、この詩は自信作だ。シンプルでリズミカルで気持ちよく入っていける、それでいて足腰しっかりと現実に対峙している・・・オレが理想とする詩になっていると思うのだ。こういう詩を次々産み出せるようになればいいのだが、その後7年、これを超える作品はまだ書けてないと思う。
 ちなみにポスターのエンタープライズ号はNCC-1071-D。『新スタートレック』の初代のヤツだったでごわす。(2004.2.26)

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