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不乱苦雑記 frank zakki fz8
「凧と舞った日」

 青空まぶしい、爽やかな朝だった。
 長崎。諫早。白木峰。
 諫早湾を眼下に見下ろす高原に優しい音が流れてる。
 テントからムクムク人が這い出して春の陽射しを浴びている。

 ふと足許に目をやると、青い凧が落ちていた。いかにも手作り、いかにも粗雑な青い凧。とても飛ぶとは思えなかった。大した風も吹いてない。どうせ無理だろうと思いながらも揚げてみる。ところがどっこい上昇気流を捕まえて凧はぐんぐん揚がっていった。

 軽快なダンスビートが流れ出す。
 心地いい。
 糸を手に持ち踊り出す。
 俺が舞う。
 それに合わせて凧も舞う。

 1本の真白い糸で結ばれて、凧と俺とが舞っていた。
 春風がダンスビートに乗っていた・・・・・・

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 「17才少年」「学級崩壊」「荒れる成人式」・・・様々な場面で子供の「異常」が報じられている。「教師が悪い」「いや家庭が問題だ」「刑罰が軽過ぎる」「ゆとり教育がいけない」・・・永田町から井戸端まで、あれやこれやと騒いでいる。
 「愛国心が足りない」なんて叫ぶヤツまで出てきている。
だが残念なことに、議論の多くは自分がガキだった頃へのノスタルジーを抜け出せない。原因の一部がそこにある事を疑いもせず。

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 オランダで安楽死法案が遂に可決された。今まで黙認されてきたのが正式に認められただけだから、それ自体は大したニュースではない。だが驚かされたのは、たった12才で安楽死が認められ、16才以上では親の同意も要らないということだ。16才で大人とみなされ、同等の権利が与えられる。18才になっても選挙権すら持てない日本(そんな国は今や世界でもほとんどない)。何という格差なのだろう。

 親が子供を殺す方が、子供が親を殺すより罪が軽い。大人の性器は写しちゃダメだが、子供の性器は写してオッケー。子供の人権が軽いのは今に始まったことではない。敬語や年功序列などの存在からも分かる通り、日本の伝統文化と言ってもいい。


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 上昇気流を帆にとらえ、青空高く凧が舞う。
 会場の多くの人が凧を見る。笑顔で凧を見つめてる。
 「みんなの力で揚げようよ」
 ひとつの凧が人から人へと手渡され、みんなの笑顔に守られて青空高く揚がってた。

 そして夕方、ふと気がつくと、凧は空から消えていた。

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 昔と今の子供を比べるのはいい。温故知新は悪いことではない。だが多くの論者が見落としている点がひとつある。それは昔と今では子供の数、子供の比率が全く違うということだ。
 急激な少子化・高齢化が進む日本。40年前は3分の1、俺がガキだった20年前も4分の1だった14才以下の子供の比率が、今では総人口の7分の1しかいない。
今や子供は少数派。家庭内での地位は上がっても、社会での地位は低下する一方なのだ。

 そして少数派を差別する日本の悪しき伝統が、「えた・ひにん」「ちょん」に対して行われてきた蛮行が、 いま、「がき」に対して行われている。多数派の大人の中で。無意識に。
 (「えた・ひにん」「ちょん」と同じように「がき」も差別用語である)
 例えば少年法「改正」問題。子供に対する罪を重くしろというのなら、オトナと同じように罪を償えというのなら、同時にオトナと同じ権利を与えるべきなのに、選挙権の問題すら議論されない。この「問題」がオトナから子供への単なるバッシングであることの何よりの証しだ。

 「声がうるさい」と公園から追い払われる。
 「手間がかかる」と病院から追い払われる。
 社会で子供を育てる姿勢が欠けている・・・なんてもんじゃない。今や社会は子供を差別し排除しようとしているのだ。

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 もっとも日本の18才が本気で選挙権を欲しがってるとは思えない。俺の頃より遥かに「義務」は重くなった。なのに「権利」は変わってない。

 もっと欲しいとちゃんと言え!
 そう叫びながらオトナ社会をブチ壊せ!
 このまま黙ったら今度は「奉仕活動」させられるよ。
 借金もどんどん押しつけられるよ。
 成人式で暴れるぐらいじゃ甘いんだよ!

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――もう二度と会えないかもしれない青い凧へ――
 俺には君を揚げ続けるだけの金も時間もなかった。俺が糸を持っていて、将来君に危険が及ぶのも怖かった。だから君とつながっていた糸を手放すしかなかった。
俺にはまだやらなきゃならないことがたくさんある。両立できなかったのは俺の力不足が原因だ。申し訳ない。
 君と俺との間にもう白い糸はない。けれどこれからどんな道を進もうと、君と俺とは、遺伝子という見えないが永遠に切れない糸でつながっている。
社会を変える事に夢中になり、家庭や自分をおろそかにしてしまう遺伝子だ。決して誉められた遺伝子ではない。逆らいたくなる時期も来るはずだ。
俺もずっとそうだった。でも大人になって独りで生きていくうちに、いつの間にか祖先と同じ道を歩んでいた。
 遺伝子に人生を決められてしまう訳じゃない。だが遺伝子が存在するからこそ様々な個性を持った人間が生まれ育ち、多様な人生を歩み、そして社会を形造っていくのだ。
君と俺が持つ遺伝子は改革者の遺伝子だ。君の持つもう半分の遺伝子も、狭い世界に収まらない遺伝子のようだ。それを生かすか無視するかは君次第だ。
俺自身だって生かせるかどうかまだ分からない。ロクデナシのまま終わるかもしれない。

 ただ、これだけは言える。君は改革者の孤独に耐えられる。逆境にも耐えられる。
 人類の多様性の一環として、君はそういう遺伝子を持っている。

 だから俺は君を信じる。
 糸が切れても君は大きく育つと信じる。

 まだロクに歩けもしない小さな君。俺の記憶は何も残らないだろう。
 でも、君と一緒に舞った、楽しかった日のことを俺は一生忘れない。
 ありがとう。さようなら。


 2001.4.22. 宮原 春萌(identity market 代表)
 <「IM... identity market 29号」(2001.5.1.発行)より転載>

 

●解説●
 掲載された29号のテーマ(SPECIAL ISSUE)は「親/子」。テーマを決めた時にはまだ妻子がいたオレだが、その後別れることが決定。これを書いた4月には既に会えなくなっていた。そして今に至るまで会っていない。・・・今でも痛い作品だ。
 いっけん創作に思えるかもしれないが、「凧」揚げのくだりは全てノンフィクション。ある野外レイヴでの出来事だ。その時は無心だったが、後に個人的体験とリンクしていい思い出に結晶してくれた。一緒に凧揚げしてくれたみんな、ありがとう。
 この文章には息子とオレを結ぶ単語がひとつ隠してある。もちろんその単語は秘密デス。(2004.2.26)

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