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What's 'IM'?

―コレマデ ト コレカラ ―

「ラブ&ピース」の落し穴

『IM』を休刊後の最初の1年は、いわば「動」の時期だった。熊本・福岡で毎月5、6本のDJをこなし、九州各地の様々なイベントに出演・参加。石見の国で本物のローカルライフを体験し、魚や蝦や巻貝を川から採って飼い始めた。長年活動の中心にあった『IM』から距離を置き、自由な視点で物事を体験し吸収していく。・・・・・・そうすることによって、社会、『IM』、そしてオレ自身を見つめ直していこうと考えたのだ。
『IM』から距離を置くといっても、代表の肩書きを棚に上げていたわけではない。発行せずともあくまで「休刊中」。どこへ行こうとオレは「IM代表」を名乗り、名乗らずともそう紹介される。だが肩書きはあっても最新号はない・・・・・・「自由な視点」が実体なき『IM』によって制約を受けることはなかった。

 休刊当初は数ヶ月、長くて半年で復刊するつもりでいた。実際、夏には原稿も集め、表紙も出来上がっている。だが様々な活動を通じて見つめ直せば直すほど、社会と『IM』とのズレの大きさを深刻に受け止めるようになっていった。さらにオレ自身も、近年にないレベルで大きく変わりつつあった。足腰がゆらいでいるようでは、復刊などとてもおぼつかない。結局、休刊から丸1年、02年11月まで復刊を延期した。

 だが、ここで「拉致問題」と「イラク問題」が起きてしまう。この2つの事件はオレに深刻な失望をもたらした。事件そのものに失望したのではない。事件に対するメディアと世論の反応に失望したのである。そして、「もっと主張しよう」という『IM』の根幹の部分、さらには他人とどう付き合っていくかというオレ自身の根幹の部分に対する自信を失ってしまった。つまり人間不信に陥ってしまったのだ。
 当然、復刊は無期限延期。スタッフを含め、『IM』に関係する全ての人との連絡を絶った。言わば『IM』関係者限定の「ひきこもり」。『IM』に関する様々なアプローチに対しても、無視を決め込むか、表面的な応対でかわして逃げた。“『IM』はもうダメみたいだね”と言われたい・・・そんな自虐的な思いが頭に浮かぶことすらあった。とにかくこの時期は、多くの人に迷惑をかけてしまった。
(もちろんコレはフリーペーパー『IM』に限った話。社会生活者として、実業たる印刷部門は『IM』とは脳ミソを使い分け、何の支障もなく運営していた。)
 
「拉致問題」と「イラク問題」をきっかけに始まった、『IM』休刊後のいわば「静」の時期。しかしそれに終止符を打ったのも、やはり国際情勢であった。アメリカが「大量破壊兵器」を口実にイラクへの先制攻撃を表明。反戦運動が高まる中、「今夜街頭デモをしよう」とDJ仲間から誘われた。イベント化著しい一部の反戦デモにかねてから疑問を抱いていたオレは、この文章を数時間で一気に書き上げ、チラシにして街で配った。筆が遅く、何度も推敲を重ねながら文章を書いていくオレからすれば、爆発的なスピードで書き殴った文章である。
 チラシを配ったまさにその夜、戦争が始まった。翌日、戦争開始を受けて一部手直し。熊本市内のクラブやライブハウスに貼らせてもらった。

「LOVE&PEACE」だけでなくリアルに平和を考えようと説くこの文章。当然ながら賛否も分かれた。特に言葉では平和を伝えることは出来な いと考える人々には反感を持たれたようだ。しかしあれから1年半、アメリカはフセインを捕えイラクを占領。日本の利益を守るため自衛隊もイラクに進軍。占領軍に加わった。そして開戦当時は7割を超えた国民の「イラク攻撃反対」も、その後5割を割ってしまった。「LOVE&PEACE」と連呼するだけでは現実に追いつけない。ここで書いた思いは、今はますます強くなっている。

 この文章はオレにとって転機となった。簡単に言えば開き直り。後ろ指差されようとも構わずけもの道を進む覚悟ができたのだ。この後オレは「復刊準備号」と称し、スタッフも広告もなしでIM33号を発行。新しい『IM』を世に問う。そして再び休刊。けもの道を歩くための装備を揃え始めるのである。<2004.6.30(一部2004.3.29)記>


「ラブ&ピース」の落し穴

 「identity marketはアメリカによるイラク先制攻撃に反対します」
 昨年秋、私は小さなカードを作り、賛成だったら置いて欲しいと店を回った。その時私はある深刻な事態・・・・・・イラク攻撃に賛成する人はその理由を説 明できるのに、反対する多くの人は自分の言葉で理由を説明出来ない・・・・・・という事態に気付かされた。「戦争は嫌だから」その程度の事しか言えないの だ。
 なぜ今回のイラク攻撃に反対なのか?
 攻撃を断念させるにはどうすればよいと考えるか?
 日本はどう行動すべきなのか?
 その理由を説明出来ない、いや考えてもいないのだろう。
 世論調査ではイラク攻撃反対が7割を超えるという結果が出ているらしい。だが、賛成/反対の意見の質から考えれば賛否は拮抗、いや賛成の方が強いのかも 知れない。
 そう考えると戦争賛成を表明した政府は、あながち暴走とは言いきれない。日本人の「民意」を反映した判断と言えるのかもしれない。

 いま“帝国主義”アメリカ合衆国(以下アメリカ)の暴走のもと、世界は再び戦争の時代に突入しつつある。そして我らが日本も、50年以上守り続けてきた 平和主義の看板を下ろし、戦争賛成を公然と表明した。
 政治の暴走。残念ながらこれは古今東西繰り返されてきたことだ。日本も然り。この事自体に驚きはない。
 しかしその暴走に対し誰もブレーキをかけられない。これは極めて危機的な状況だ。

 なぜブレーキをかけられないのか?
 昨年秋以降ずっと考えてきた。
 そして思い当たったのが「ラブ&ピース」という言葉だ。

 「LOVE&PEACE」
 理想の平和への道筋をひとことで表現した究極の言葉だ。
 だから平和を口にする誰もが使う。
 いまも世界中のプラカードにこの言葉が踊っている。

 しかし「LOVE&PEACE」はあくまで究極の言葉だ。
 「ラブ&ピース」
 多くの人が書く。叫ぶ。祈る。
 だがそこで思考がストップしてしまっている。
 平和とは何なのか?
 平和の実現に向けて何をすればいいのか?
 そして何を覚悟しなければならないのか?
 論理的、戦略的、現実的に考えず、「ラブ&ピース」の言葉に逃げてしまう。
 だから戦争賛成を止められない。賛成論に負けてしまう。

 遂に戦争が始ってしまった。戦争が始まれば賛成論者が勢いづく。これは歴史の常道だ。
 日本は今回の戦争に賛成した。反対が多数を占める国際情勢の中で賛成を表明した。これは参戦したに等しい。北朝鮮の脅威があるから。安全も経済も食料も アメリカに依存しているから。・・・そんな言い訳は通用しない。世界のほとんどの国は何らかのの脅威に直面し、アメリカなしには生きていけないのだから。

 日本はかつてアメリカと戦争をした国。
 原爆の悲惨さを体験した唯一の国。
 イスラム教、キリスト教、ユダヤ教のどれにも影響されない最大の国。
 そしてアメリカの「友人」。
 だから世界は、特にイスラム諸国は日本に期待していた。日本が平和を訴え、アメリカを諌め、そして仲介に乗り出すことを期待していた。実際、日本はその 実績もある。なぜか語られることは少ないが、ここ10年の間においてもイランとアメリカを仲介し対立を回避させた。だから日本はテロにも狙われなかった。

 世界は日本に期待していた。だからこそ、今回の賛成表明に対する失望は大きい。
 今までと違い、今回の戦争では日本も攻撃を受けるかもしれない。
 今そうなれば日本の戦争反対はすっとんでしまうだろう。
 何も考えず「ラブ&ピース」と叫んでいる多くの日本人が戦争賛成に転じるだろう。
 私はそう懸念している。

 いま必要なのは平和について考えることだ。
 「ラブ&ピース」と叫ぶだけで終らせず、
 平和とは何なのか?
 平和の実現に向けて何をすればいいのか?
 そして何を覚悟しなければならないのか?
 論理的、戦略的、現実的に考えて欲しい。

 そしてみんなで平和を語って欲しい。様々な場所で、様々な人々と、平和について論じて欲しい。時間はかかるが戦争に対抗する道はこれしかない。
 私もこれから行動を起こす。5月にフリーペーパー「IM...identity market」を復刊させる。そこで平和を論じて欲しい。もちろん私も平和を論じる。復刊についてのチラシを今月末に出すので、見て欲しい。また http://www.wms.jp/~im/(予備http://www.iris.dti.ne.jp/~harumo/)にも情報を出すので、そち らでもいい。
みんなの参加を待っている。



 以下、私が今回の戦争に反対する理由を簡単に記す。
 詳しくは5月に出るIMに書くが、賛否両論、とりあえず議論のタタキ台にして欲しい。

1.フセイン体制が崩れるとイスラム原理主義が台頭する可能性が高いこと
 フセインは軍国主義者ではあるが原理主義者ではない。彼の服装を見るだけでも分かるだろう。フセインの独裁下にあるバクダッド市民の格好も周辺のイスラ ム諸国に比べ自由度が高い。アメリカ自身、かつてイラン革命に端を発した原理主義の台頭に対しイラクとフセイン政権を支援していたのだ。
 アルカイダのような排他的イスラム原理主義集団にとって、イスラム思想に不熱心なフセイン政権はむしろ邪魔な存在だ。アメリカに反抗しているので表向き は声援は送っているが、内心はフセイン政権崩壊を願っている。フセイン政権の崩壊は、世界に散らばるイスラム原理主義にとって追い風になってしまうはず だ。
 いまアメリカはフセイン政権打倒後の受け皿としてイラク反政府組織を支援している。しかしこの中に原理主義者が含まれている可能性は極めて高い。かつて アメリカがアフガニスタンの反政府組織を支援した時、その中にいたのがビンラディン氏だ。アメリカの支援がなかったらビンラディン氏は台頭しなかった。い まアメリカが支援するイラクの反政府組織の中から第2のビンラディン氏が出ない保障は全くない。いや、新たなテロリストを育ててしまう可能性の方が高いと 言ってもいいだろう。

2.国家を持たぬ集団の方が危険であること。
 アルカイダの出現で明確になったこと。それは今や本当の脅威は国家を超えて存在しているということだ。まさにアメリカがすすめる「グローバリズム」の恩 恵により、21世紀に入りテロリストは国家を超えて権力を持つようになった。そういった集団は国を背負う者よりはるかに危険だ。イラクにおいてもフセイン 独裁政権が続く方が世界は安全だ。フセインひとりを管理すれば済むからだ。そしてフセインはイラク国家という重しがある。イラクを背負っている限り無茶な 真似は出来ない。
 誤解しないで欲しい。独裁政権を賛美しているのではない。しかしイラクがアフガニスタンのような群雄割拠の無政府状態になることの方がはるかに危険だと 言いたいのだ。
それを知っているからバクダッド市民は圧政に耐えつつフセイン政権を受け入れる。
 イラクではインターネットから自由に情報を仕入れることができる。国境も完全に封鎖されているわけではない。だがイラクの一般市民は亡命しない。フセイ ン政権の方が自由はないが安全が保たれるからだ。
 イラクに関しては、現状のままクルド人を保護しつつフセイン政権を監視していくのが望ましい。

3.先制攻撃はいかなる理由があっても許してはいけない。
 危ないから先に攻撃する。核攻撃も辞さない。・・・・・・ブッシュ政権はそう宣言した。
 いわいる「ブッシュ・ドクトリン」。あるいは「アメリカ帝国主義」の表明だ。
 そしてイラクに対してそれを実践しようとしている。
 しかし先制攻撃はいかなる理由があろうとも、決して許してはいけない。先制攻撃が許されれば、すべての戦争が正当化されてしまうからだ。だからこそ、人 類が戦争に明け暮れた20世紀前半の時でさえも、先制攻撃をタブーとしてきた。面倒な策略を仕掛けてまでも、「相手が先に攻撃した」という事実を作ってか ら戦争をした。

 自分にとって脅威だから先に攻撃する。
 その論理を用いればどの国の戦争も、どの集団の戦争も正当化できる。
 アメリカにとってはイラクが脅威。
 イスラエルにとってはパレスチナが脅威。
 ロシアにとってはチェチェンが脅威。
 中国にとってはチベットが脅威。
 台湾にとっては中国が脅威。
 パキスタンにとってはインドが脅威。
 インドにとってはパキスタンが脅威。
 日本にとっては北朝鮮が脅威。
 北朝鮮にとっては日本が脅威。
 ・・・・・・さあ、世界各地で戦争だ!

 先制攻撃はいかなる理由があっても許してはならない。
 そして暴走するアメリカをどう止めるのか?
 アメリカ以外の世界全ての国、全ての地域、全ての人が、これから真剣に考えていかなければならない。

 最後に。
 あなたが「ラブ&ピース」を叫ぶのを私は止めるつもりはない。
 だがせめて「LOVE&PEACE」と共に、以下の言葉についても考えて欲しい。

 GAIN or PEACE   利益か平和か?
 SECURE or PEACE   安全か平和か?
 LIBERTY or PEACE   自由か平和か?
 LOVE or PEACE   愛か平和か?


2003.3.19. 宮原 春萌(identity market 代表)
<手配りチラシ、2003.3.19~街頭配布・掲示(3.20開戦を受けて一部文字手直し)


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