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frank zakki fz2
「青い電車」 |
ガキの頃、電車を見るのが好きだった。
金網にへばりついて覗いてみると、いろんな列車が通りすぎていく。
ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車。
何十両もつながった貨物列車。
やっぱりカッコイイ特急電車。
屋根に雪が積もった寝台列車。
そんなある日、変な電車が走ってきた。
いつも見かける青い電車。
ところが車体いちめんシールがベタベタ貼ってある。
ガキのオレに文字は読めない。
「なんだろう。あのでんしゃ。」
Z
新潟の少女監禁事件。オレがこの事件に興味を持ったのは、監禁されていた少女がいまの日本人の姿とダブって見えたからである。
9年間。少女は監禁され続けた。・・・・・・カギのかかっていない部屋に。犯人の母親も同居する家に。
少女は自由になりたいと願っていた。しかし部屋を飛び出すことはなかった。「逃げても捕まる」と信じて疑わなかった。
もし母親の通報がなければ、彼女は永遠に、男の部屋に居続けたのだろう。
Z
新聞で見かけた記事。
最近、女性制服の廃止を検討する会社が増えている。「男性の服装は自由なのに女性だけ制服があるのはおかしい。」「女性も自由にするべきだ。」
しかしてこれが、当の女性に評判悪い。賛成なのは少数派。大部分は廃止反対。理由は単純。「制服の方が楽だから。」
均等法の成立で、やっと生まれた女性のチャンス。ところがまだまだ格差が多い。機会均等にゃ程遠い。こんなところで満足されちゃ、オスのオレとて情けない。
まあ、でも、服の自由な男性だって、ドブネズミスーツのワンパターン。無難にキメて右習え!これじゃ確かに自由になっても意味ねーな。
Z
世ん中には、「自由」もありゃ「束縛」もある。でも良く考えてみると、束縛ってモンは案外少ない。「束縛」と思いこんでいることも、良く考えてみれば、たいてい「自由」だ。やろうと思えばなんとかなる。ただ、やったことがないだけ。やらないから分からないだけ。
「自由」なのに行動しない。
「自由」を使ってみたことがない。
「自由」を実感したことが一度もない。
単にビビッてるだけならまだマシだ。人畜無害だ。
ところがどっこい、「自由」を知らないと「束縛」の意味も分からなってくる。
ホンモノの「束縛」と、ニセモノの「束縛」の区別もつかなくなる。
結果、ニセモノの「束縛」に振りまわされ、ホンモノの「束縛」を理解できない、人畜有害なヤツが増える。
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そろそろ選挙があるようだ。選挙のたびにメディアを賑わす1つの公式。投票率低下=政治不信。・・・そんなアホな!政治に不満なんだったら投票行くでしょ。悪いものは変えていく。何万年も前から人間そうやって生きてきたんだよ。投票に行かないのは単に無気力なだけ。ヤル気ないモンに媚売ってどうするん?
投票率低下=日本人の無気力化。このくらのこと書けねーんだったら、マスコミやってる資格なんかねーよ。
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スーツを毛嫌うわけじゃない。「仕事にスーツ」がイヤなだけ。
日本の夏に全く合わない。そんなスーツを仕事で着るな。
アレのおかげで、通勤電車はクーラーガンガン。オフィスもサ店も死ぬほど寒い。あ~。エネルギーの無駄使い。
サラリーマンはアロハシャツ!ルック・ウェスト・マレーシア!
マハティール首相を見習おう!
Z
自由の「自」は、自分の「自」。自由の「由」は、理由の「由」。
自由は「みずからによる」という意味だ。
自由は自分に由来する。自由は自分で作るもの。
自由は自分で勝ち取るもの。もらえるものでは決してない。
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発見当初は歩く気力も、体力さえも失いかけていた新潟の少女も、その後、徐々に回復してきているようだ。
「自由」の多さ、「自由」の広さにビビらずに、積極的にチャレンジする女性になって欲しい。「自由」の意味、束縛の「意味」を日本人に説き回るぐらいの強い女性になって欲しい。真にそう願う。
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オトナになって知ったこと。
「青い電車」は労働争議。
経営にたて突くストライキ。
「賃金上げろ」のステッカー。
その後オトナになってから、
「青い電車」は一度も見ない。
2000.4.22. 宮原 春萌(identity market 代表)
<「IM... identity market 23号」(2000.5.1.発行)より転載>
●解説● 連載2回目。前回の「無責任」に続き今回の「無気力」。この頃からオレは一般の日本人を批判することが多くなってきた。政治やマスコミが変わっても民衆が変わらない限り日本はダメだと考え始めたからである。
この文章は「自由/束縛」のテーマの時に書いたもの。だが、「ホンモノの束縛と、ニセモノの束縛」のくだりは明らかに説明不足。ちと反省。
「青い電車」は京浜東北線。幼少の頃住んでいた埼玉の浦和を走っていた国電。当時浦和は東京から北へ向う全ての国鉄が通る場所だったので、いろいろな列車を見ることができ、よくひとりで見に行っていた。今からおよそ30年前、5才の頃のことである。(2004.2.23)
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