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不乱苦雑記 frank zakki fz1
「我々」のオウム

 オウム真理教。
 「意識/無意識」と聞いてまっ先にオレにのしかかってきたのは、今は「アレフ」と名乗るこの宗教団体のことだ。信者のマインドコントロールうんぬんではない。オウム信者の転入拒否運動を起こしている日本各地の「一般住民」のことである。

 確かにオウム真理教は組織犯罪を犯したとの判決を下された団体だ。しかし、だからといって刑期を終えた信者。さらに、無罪の信者やその子供まで拒絶していいものであろうか?
 「一般住民」ばかりではない。市町村までが転入届の受付を拒否しているという。では彼等はどこに住めばいいというのか? 彼等の子供はどこで教育を受ければいいのか?

 隣の国の出身だからといって、特定の部落の出身だからといって、それだけで差別する。特定の政党の支持者だからといって、それだけで排除する。こうした日本人の悪行が、今また繰り返されている。

 オウム信者の言動は、およそ人間の正常な意識によって行われたものとは信じがたい。しかし、塀の外側にいる限り、その人間には生きる権利がある。基本的人権だってある。悪いとこをした人間に対しては何をしてもいい・・・わけがない。ましてや、法的に罪をつぐなった人間や、始めから無罪の人間の権利を奪うのは、それこそ立派な犯罪である。そんなことは誰でも分っていたはずだ。だからこそ、オウムに対する周囲の反応も、正常な意識によって行われたものとは信じがたい。

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 いまオレがいるのは阿蘇外輪山某所。
 午前2時。
 見渡す限りの広大な草原のヘリ。
 夜空には満天の星。
 それに混ざるように断崖の眼下には街灯り。
 もちろん己の他には誰もいない。

 ロマンチスト気取りではない。
 正直、「一般住民」から距離を置きたかった。
 そうしなければ今回の文章は書けないと思った。
 なぜならオレも、普段は「一般住民」なのだから。

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 今日は、ここから300km離れた山口県の光市という場所にいた。瀬戸内海に面したひっそり静かな、しかし時の流れが止まっているような不思議な街だった。もとは室町時代からの交易の港町らしい。古びた町並みも明らかに異国の遺伝子が組み込まれている。「光」という地名も、おそらくキリスト教に由来するものであろう。

 そして何よりも、そこで出会った何人かの人々が、皆、不思議な雰囲気を持っていた。言葉にするのは難しいが、普通の日本人にはない強固な自我、他を受け入れつつも左右されない自我みたいなものを持っていた。そして強固な自我を持つ人にのみ共通する独特の柔和さを持っていた。

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 冬の阿蘇はひたすら寒い。
 標高900m。夜明け前。
 気温はおそらくマイナス10度に達しているであろう。
 車の中で毛布にくるまる。
 それでも神経まで凍ってしまいそうだ。

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 「他人は他人。オレはオレ。」今や角さん繰り出す印籠の如く登場するこの言葉。自我の独立。個人主義。大いに結構。
 だが、本当は独立出来てない人が本当に多い。「まわり」や「みんな」に「なんとなく」支配されている。意識では独立していても無意識が独立できてない。
 まず独立すべきは無意識だ。もちろん人間も動物の一種。完全な独立は到底不可能。だが、なるべく独立するべきだ。努めて独立するべきだ。無意識が独立していれば、意識の独立は問題ない。
 むしろ意識はリンクすべきだ。他人と、社会と、リンクすべきだ。他人も、社会も、自分の意識とつながっている。そう思えれば、他人に、社会に、興味も責任も持てるはずだ。

 警察の腐敗、政治家の汚職、新潟の監禁事件・・・・・・。アナタもワタシも当事者じゃない。だが、アナタにもワタシにも責任がある。すべての日本人、すべての地球人に責任がある。「我々」の責任だ。責任の重さは各々で違う。しかし決してゼロではない。「オウム」についても同様だ。

 オウムの言動は確かに特殊だ。閉鎖的でもある。だがしかし、「我々」が作り出したものだ。だから、「我々」が解決しなければならない。
 役人、警官、裁判官・・・当事者にまかせて高見の見物。近くにきたら払いのける。ハエを追い払うがごとく反射的に。無意識に。
 ・・・・・・そんなことでは、何も解決しない。オウムは「我々」の産物なのだから。

 解決策は2つしかない。
 オウム信者をいかに社会復帰させるか。オウム真理教をどう社会で位置づけるか。皆がそれを意識すること。これが1つ目。
 オウム信者を皆殺しにすること。魔女狩りの如く探し出し、ナチスの如く皆殺しにする。これが2つ目。
 今、「我々」が選ぼうとしているのは、2つ目の方である。・・・・・・もちろん無意識に、である。

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 いつの間にか眠ってしまった。
 気がついたら夜が明けていた。
 あたり一面、霜で真っ白だ。

 そして、
 すべての「我々」が、
 いま、この風景を必要として、
 いる。


2000.2.6. 宮原 春萌(identity market 代表)
<「IM...identity market 22号」(2000.3.1.発行)より転載>

 

●解説●
「不乱苦雑記」の第1回目。創刊3年半にして初めて持った、オレ自身が腰を据えて書くページ。この頃はIM史上最も広告が獲れていた時期で、ページ数も40ページ以上あった。だから一般投稿作品の掲載数を削ることなく、堂々と自分のコーナーを立ち上げることができたのである。
当時はオウム信者が出所・社会復帰しはじめた頃で、公たる役場が信者の転入届を次々拒否。さらには子供の小学校転入届の拒否まで相次ぐという、人権まで吹き飛ばすオウムアレルギー風が吹いていた。
なお掲載時は「新潟の監禁事件」を「京都の・・・」と間違うという大ポカをやらかしてます。(2003.7.30)

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