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熟蔵

「笑う羊」

笑う羊がうじゃうじゃうじゃ
僕のまわりにうじゃうじゃうじゃ



笑ってる・・・
氷のように冷たく笑う羊たち

感覚神経よじ登り
大脳皮質に入ってく

鉄のようにひややかに
灰のようにまっしろに
無数の羊が笑ってる
みんな同じに笑ってる


僕は羊の仮面を付けて
羊の群れに入っていった



羊の群れは歓んで僕を迎え入れた。
「ようこそ来て下さいました。ずっとあなたをお待ちしておりました。さあ、いっしょに歩きましょう。」
僕は群れと一緒に歩き始めた。


羊、羊、羊、羊、
どこを向いても羊がいる。あたり一面を羊が埋めつくしている。そしてどの羊も同じ向きに歩いている。同じペースで歩いている。
あまりに沢山の羊がいるので、どこを歩いているのかも分からない。どこへ行くのかも分からない。
僕は隣にいる羊に聞いた。
「どこへ行くのですか?」
「幸福という所に行くのです。」
隣の羊は穏やかな口調で答えた。
「みんな幸福という所へ行くのですか?」
「はい、そうです。」
「なぜ群れになって行くのですか?」
「みんなで力を合わせないと、幸福には行けないのです。」


僕は他の羊と話をしながら歩き続けた。
どの羊も優しく、温厚で、親切だった。
相変わらず冷たい笑いを浮かべていたが、心の温かさに触れた今では気にならなかった。
群れに囲まれて歩くのは楽で、快適で、楽しく、そして何よりも安心感があった。
そして、僕がいることで他の羊の安心感も少しは増しているだろうと思うと、群れのために役立っているという満足感が得られた。この群れの中にいれば、僕も 温厚になれると思った。



ところが、しばらく歩いているうちに、だんだんと足が痛くなってきた。
まわりを見ると、どの羊も平然と歩いている。
どうして僕だけ足が痛くなるのかと、不思議に思いながらもう一度まわりを見て、僕は気付いた。他の羊は皆足の長さが同じなのに、僕だけ少し長いのだ。その ため他の羊たちと同じペースで歩こうとすると、足に無理がかかってしまうのだ。
どうしようかと困っていると、隣にいる羊が言った。
「向こうに見えるオリーブの木の下に行くといいですよ。」
「僕は群れを離れてオリーブの木に向った。


オリーブの木の下に着くや否や、僕は目の前の光景に背筋が凍りついた。
そこでは何匹もの羊がノコギリで自分の足を切り落としていた。
それだけではない。何匹もの羊に体を押さえつけられて、抵抗空しく無理矢理4本の足を切り落とされている羊もいた。
僕は恐ろしくなってその場から逃げようとした。
しかしその瞬間、僕は2匹の羊に両手両足をつかまれてしまった。
「群れがスムースに動くためには、皆、足の長さが同じでなければならないのです。長すぎる足は切って皆と同じ長さにする。そうするのが群れ全体のためにな り、また、あなたのためにもなるのです。」
「僕は羊じゃない!本当は人間なんだ!」
僕は羊の仮面を取ろうとした。
しかし羊の仮面は顔に同化し、顔と仮面の区別も既になくなっていた。
羊の仮面は僕の心と裏腹に、氷のように冷たく笑っていた。



そして僕は羊になった。


1991.12.11 宮原春萌
<『Crazy Garden #14』(Usen440:(株)大阪有線放送社、1991.12.19 / 12.26放送)>



●解説●
 大阪有線(Usen440)の『Crazy Garden』(詳しくは「虎のバター」の解説を参照)のために書いた脚本。この作品はそのうちの14本目。1991年の12月19日と26日に放送されている。
 90年代前半といえばオウム真理教を連想する人も多かろう。だが当時はまだ麻原彰晃自身が衆院選に立候補したりTVに出演してたりしていた頃。坂本弁護士一家「行方不明」事件への関与は疑われていたものの、一般的な認識は“ヘンな宗教団体”に留まっており、この作品の背景にもなってはいない。
 この作品の対象は全ての宗教。「オリーブの木」が象徴するとされている全てのもの:宗教的な価値観、伝統、団結、それを守るための戦争、その結果もたらされる富と“平和”である。そして読んでの通り、こういった西洋的な平和観をオレは善しとしていない。
 「オリーブの木」の言葉は、数年後に誕生したイタリア左派連合という思わぬ所から日本でも有名になり、今では連帯の象徴、さらには単に平和の象徴として用いられる事が多くなってしまった。もっとも、書いた当時から日本では誤解を招きかねない、いやそれ以前に文学よがりな表現であったことも事実。こういう表現を説明なしに使ってしまっているあたり、まだまだ甘ぇナの22才であった。

 なお『Crazy Garden』は音楽とストーリーのミックスという手法で作っていた番組であり、この作品では次の4曲を使用している。
   ・Eastern Mantra / Cabaret Voltaire
   ・Intro - Lebedik Un Freilach / 3 Mustaphas 3
   ・Jagnath Bhairavi / Suns Of Arqa
   ・Gaval Dance / Glen Velez , Setrak Sarkissian

 当時はワールドミュージック・ブームの真っ只中。現代的な味付けがなされた民族音楽、主に西洋人による擬似民族音楽、そしていわゆる“エスノポップ”が、賛否両論を巻き起こしつつも世界的に大流行。「WOMAD」〔※〕が初開催されるなど、日本でも大いに盛り上がっていた。
 上記の4曲はいずれも西洋人による「擬似」民族音楽寄りのもの。「オリーブの木」の説明に続けてこう書くと「擬似」を見下していると誤解されてしまいそうだが、逆にこういう類の音楽は昔も今も大好物。オレは小泉文夫信者でも中村とうよう信者でもなかったので、ワールドミュージック・ブームも理屈抜きに楽しめたのであった。(2005.2.26)


〔※〕WOMAD(World Of Music, Arts, and Danceの略)
 元ジェネシス(フィルコリンズも在籍していたプログレロックグループ)のピーター・ガブリエルとその友人トマス・ブルーマンのイギリス人2人が82年に始めたワールドミュージックの祭典。大規模な野外ライブで欧州各地をツアーし商業的にも成功。そして91年、遂に日本初開催。(当時はまだ開発中であった)地元横浜のみなとみらい地区が会場であったため、宿泊不可であったにもかかわらず3日間フルに観ることが出来た。ユッスー・ンドゥール、シェフ・ハレド、デティ・クルニア、シャインヘッド、スザンヌ・ヴェガ、都はるみ、坂本龍一、上々颱風、サンディーなどのビッグネームが参加。民謡歌手伊藤多喜雄は感極まって泣き出すわ、ポーグスのシェーン・マゴウワンは泥酔状態で会場を徘徊しているわ、んでそのポーグスのステージは警備員が足りず観客とメンバー達の乱闘大会になっちまうわ(知る限りこれがシェーンのラストライブ。この後に予定されていた名古屋公演はキャンセルされ、シェーンはポーグスをクビになったと記憶している)・・・とにかくアツいイベントであった。
 WOMADは翌年も同会場で開催され、今度は御大ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンまで加わってのジミー・クリフ大合唱という、感動的なフィナーレを体験させてくれた。
 ワールドミュージック・ブームが去ったその後も、WOMADは規模を縮小しつつも開催され続けた。だが熊本に転勤したためその後は行けず、 情報や評判を耳にする機会も無くなってしまった。



〔INDEX〕