今、NHKのニュースを見てい
る 10月8日午前1時過ぎ(日本時間)、遂にブッシュの言う「正義を実現する為の戦い」が始まった 多国籍軍によるバグダッド空爆というあの悪夢がまたこのような形で繰り返されようとは・・・ 1998年8月に米大使館同時爆破テロ後にもアフガニスタンとスーダンに空爆を行っているので 対ビン・ラディン、対アルカイーダ、対イスラム原理主義に対しての攻撃は2度目となる ブッシュはこうも言った、これは「善と悪の戦い」だと 何が正義で、何が悪なのだろうか・・・ これは本当に正義と悪の戦いなのだろうか・・・ オサマ・ビン・ラディンの行った行為が悪ならば アメリカ、そしてブッシュ、それを支援する国も悪であるはずだ ・・・と僕は思う 眼には眼を、歯には歯を・・・アメリカお得意の手法だ この攻撃は民間人を傷付けない、テロリストとそれを支援する者 そしてその主要施設を攻撃するものである、と強調されているが 実際はどうなのだろう・・・ 難民となって周辺諸国へと避難出来る人はわりと裕福な人だけで 残された人は食料にも困る状況だという さらに空爆が行われれば、こうした人達がどのような立場に置かれるかは明らかなはずだ さらにタリバン側は当然のごとく全勢力を注いで交戦するわけで アメリカ側にもタリバン側にも犠牲者が数多くでることは必至である ブッシュの決断したこの攻撃により、自らの腹も傷める結果となろうし 多くの犠牲者が生まれることだろう 直接的な被害に加え、間接的な被害も大きいはずだ 貿易センタービルの下敷きになった人間と同じ数だけの命を奪おうというのか 僕は死刑反対論者だが、死刑という制度も重罪を犯した者を「悪」とみなし、国家の名の元「殺人」という悪しきはずの手法を用いて処罰を行うという何とも理不尽な制度である これではその者が行った罪を本当の意味で罰し、以後そうした犯罪が起こらない様な取り組み、さらには罪を犯した者が何故そうした犯罪に走らなければいけなかったかを解明し、その人間を更生させるという事を放棄する行為としか思えない、その犯罪の根底に迫らず被害者の心情とか判例とか抑止力とかその他諸々の事情で命を奪われるのは納得がいかない どんなに極悪人でも・・・それでは解決にはならないからだ 被害者の立場になれば、あいつを殺してやりたいと思うかもしれない それは否定しないが・・・罪を憎んで人を憎まず・・・である 今回の出来事についても同じようなことが言えまいか 今回もアメリカはひたすら待ち続けるべきだったと思う あれだけの諜報力を持ってしても、軍事的に頼らざるを得なかったのだろうか そこには何かの事情があるのだろう ハイジャックされた飛行機が飛び立った飛行場近くで発見された容疑者の車の中にオサマ・ビン・ラディンが書いたと言う手紙(今回のテロの指示書のようなもの)が残されていたと言う。 この内容の全文が報道されているようだが、後に筆跡鑑定してみるとビン・ラディンの筆跡とは全く異なることが分かった。また複数の人間が執筆していることも分かった・・・これはどういうことだろう アルカイーダの最高指導者の書いた直筆の手紙を車に置き去りにして 命懸けの作戦に挑むだろうか 恐らくこの手紙は事件後に書かれ(分担して書かれたのだろうか)、わざと見つかり易いように誰かの手によって車内に置かれたと推測できる このことが意味するものは何だろうか 僕にはアメリカの、そしてブッシュの一人芝居ともとれる! 何たってアメリカの得意技は「クライシス・クリエイション(危機の構築)」なんだから・・・ 正義と悪・・・今回の出来事ほどこのことについて考えたことはない 9月30日に大阪で観たレディオヘッド公演でトムは皮肉を込めてこう言った 「この曲を泥棒で猿野郎のブッシュに捧げる」と・・・そして「The Thief(泥棒)」を演奏した 窪田雅之(anomie/vo.g) anomie official website http://www.interq.or.jp/rock/prasada/ |