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What's 'IM'?

―コレマデ ト コレカラ ―

STEPPIN' INTO THE 21TH CENTURY

 創刊時のパートナー・柴田麻希が1周年を迎えた06号(97年7月発行)を最後に編集を離れたものの、03号あたりから加入し始めた若いスタッフ達の頑張りもあり、『IM』は順調に成長していった。97年3月にはidentity market初の主催イベント「conjunction #1」を開催。06号からは福岡や鹿児島など県外にも配布を開始。さらに08号からはパソコンも導入。自力で製作出来る体制も整った。

 そして98年3月、10号を迎えた。
 本文に書いている通り、10号は当初からの目標だった。(だから創刊号も「0号」でなく「00号」と2ケタにした)
 そしてこの時点までに、オレは重大な決断をしなければならなかった。
 当時の私はPARCOの社員。そもそも横浜出身のオレが熊本に来たのも、単にPARCOの異動のため。だから次の辞令が出れば、オレは熊本を離れざるを得なかった。・・・・・・つまり重大な決断とは、会社をとるか?それとも『IM』をとるか?だ。

 そしてオレは『IM』をとった。

 もちろん『IM』のためだけにPARCOを辞めたわけではない。様々な要素を考慮した上での決断だ。
 しかし既にこの時点で、オレにとって『IM』は単なる遊びではなく、ライフワークに値する存在となりつつあった。また『IM』を通じて初めて知り得た九州の文化は、先祖代々からの関東人であるオレにとっては驚きの連続で、興味は深まるばかりだった。『IM』を始めてなければ、いずれPARCOは辞めたとしても、オレが九州に残ることは無かっただろう。

 ともかくこの春でPARCOを退職。『IM』は続くことになった。
 そして有り余る時間を手に入れたオレは、『IM』の活動を本格化させていったのだった。<2004.6.11記>


STEPPIN' INTO THE 21TH CENTURY

オレがちっちゃなガキの頃、未来の世界はバラ色だった。
リニアにアポロにコンコルド。ニュースの向こうに未来が見えた。
空飛ぶクルマに宇宙基地。絵本の向こうに自分が見えた。

オイルショックに公害病。ある朝未来が色あせた。
そのときオトナはこう言った。
「どんまい。どんまい。がんばってこうぜ!」
未来はやっぱりバラ色だった。

高齢社会に温暖化。今や未来はまっくろけ。
未来はいまより悪くなる。オトナは未来を嘆くだけ。
未来はコドモの命綱。
未来を失いコドモはキレる。


はっきりいって、今の日本は死んでます。
政治も経済も死んでます。
でも、死んでいる世の中を嘆き批判しているだけでは、いつまでたっても何も起こりません。
だれも、何もしてくれません。

じゃあ、どうする?

ひとりひとりが、もっと自由に発言し、積極的に行動すればいい。
他人まかせにしないで、失敗を恐れずに自ら動けばいい。
そうすれば、たとえモノは豊かにならなくても、ココロは豊かになるはずだ。
世の中豊かになるはずだ。

じゃあ、どうする?・・・・・・identity marketの答えです。


identity marketを創刊したとき、10号をひとつの節目として考えていました。
10号までは何があっても出そう。その後はその時になって決めようと考えてました。

結論は、もちろん、これからもヤリます。
より ACTIVE & INTERACTIVE に・・・・・・わかりやすくいえば「出しゃばり」ます。
夏に向けて誌面をリニューアル。イベントもいろいろヤリます。


ココロの敗戦。ココロの焼け野原からの再出発。
いま、オレたちは、自分たちで未来を語り、作り上げなければならない。
成功する自信はなくとも、バラ色の未来を作ろうとする努力。
いま、オレたちは、自分たちでその第一歩を、歩み出さなければならない。
21世紀に向けて。

宮原 春萌(identity market 代表)
<『IM...identity market 10』(1998.3.1.発行)より転載>

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