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2006,8,2 『identity market on BLOG』

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2005,1,29
他には「金子みすゞ」ぐらいしか使い道のない、「いすゞ自動車」の「ゞ」。
ワープロ時代の話だが、いすゞ自動車のためだけにこの文字を搭載していると(確か東芝の)人から聞いた記憶がある。
グローバル化社会においては、キーボードで直接打てないというだけで大きなハンデ。
それなのに未だ社名に使い続けるとは、何たる不親切!何たる商売っ気の無さであろうか!

でも名前は魂を成すもの。
金目当てに魂売るほど腐っちゃいねぇぜっていう姿勢には好感持てるね。

たかが数票の書き間違いを恐れひらがな名で立候補する政治屋サン。
名前を変えれば過去の責任は負わずに済むと思っている銀行屋サン。
・・・最近腐ってる連中多いしね。

スマトラ沖地震<補足2(後編)> 2005,1,27
<昨日より続く>

特に我々日本人。アメリカに原爆を落とされた恨みすらも十年で忘れてしまうほど、我々は何に対しても持続力に欠くという特徴を持っている。

だが今回の復興においては今までになく日本の力が不可欠となる。その理由は3つ。先の連載で書いた通り、インドネシアと日本は歴史的に密接で特別な関係にあること。「TSUNAMI」は日本の専門分野であること。そして(これは最近気付いたことだが)、日本は時差のハンディを抱えぬ数少ない支援国であるということだ。インドネシアの午前9時から午後5時は、日本にとっては午前11時から午後7時。誰でも起きている時間帯だ。ところが国連本部があるスイスでは、午前3時から11時。ニューヨークではなおひどく、午後9時から午前5時と丸っきり深夜になってしまうのだ。

長期に及ぶ活動において、時差は決して無視出来ない。ボランティア的は人的支援においてはなおさらだ。インドネシアから時差のハンディを持たぬ支援国を見渡せば、東ティモール問題で益々関係が悪化した隣国オーストラリア、国内の反華僑感情にリンクする中国と台湾、人口僅か300万人の小国シンガポール、そして韓国と日本。・・・これしかない。どう考えても日本が率先して「汗をかいて」いくべきだろう。

今は世界中から関心と支援が集まっている。国連も順調だと言っている。ゆえに「個人が為すべきは支援よりもまず監視である」と思う。
だが世界の関心が薄れてきた時、国連と共に日本が支援を支えていかなければ、この復興計画は失敗に終ってしまうに違いない。その時まで、それからそれ以降も関心を持ち続けること。これを上の言葉に付け加えておこう。
そして日本人が持続力に欠くという弱点を持つ事を、まずは自分自身の胆に命じ、皆が関心を持ち続けるよう努力をしていこう。と、今は考えている。

<おわり>

スマトラ沖地震<補足2(前編)> 2005,1,26
1月14日の「スマトラ沖地震<8>」で「各国の思惑あって支援金は問題なく集まる今回のスマトラ沖地震。個人が為すべきは支援よりもまず監視である。」と書いたが、どうやら加筆が必要になってきたようだ。

スマトラ沖地震について『裏凡』で書き始めたの1月4日。既に地震発生から10日経ち、"やっと被害の実態がつかめた"のを受けて書いた・・・・・・はずだった。ところが発生1ヶ月を前に発表された数値は死者・行方不明者だけでも30万人弱と2倍増。アチェ特別州では、<海岸から4キロ>離れた村でも<いまも水田の海水は引かずまるで湖>で、<孤立地域の実態について調べている>状態だという。
カリマンタン島や東部の島々ならともかく、スマトラ島はインドネシアでも開けた地方。産油国の強みか、バス網などは車が要らないぐらいに整備されており、ハッキリ言って日本の地方都市より発達している。それにもかかわらず、未だ被害の全容すら掴めない。経済の<97%が失われたと試算される>未曾有の被害。各国の救援部隊を以ってしても、これで精一杯なのであろう。

災害の全容を掴むだけでも1ヶ月以上・・・ならば復興には途方もなく長い時間がかかるはず。国際社会は持続的な関心と支援によってそれを支えていかなければならないだろう。
もちろん国連は一時的な興味に左右されるような組織ではない。たとえ10年かかろうが、最後まで復興プロジェクトをリードしていくはずだ。だが各国のマスコミや国民の関心がどこまで続くか。これが大いに心配だ。

<明日に続く>

< >内:『朝日新聞2005年1月26日<西部本社第10版5面>』(朝日新聞社、2005)

独立記念日 2005,1,25
久しぶりにホームページを改装した。
10月のサーバ移転以来幾つかの問題が生じていたので早く改装したかったのだが、印刷仕事の繁忙期にそんな余裕があるわけもなく、今になってようやくとりかかれた次第である。

改装の一番のポイントはフレーム構造の廃止。実はこのフレーム、オレではなく前のWEB担当者が作ったもの。シンプルで気に入っていたし作り直すのも面倒だったので、サイト製作を自分でするようになってからも使い続けていたのだ。しかし新サーバ移転以降アドレス表示や検索面で不具合が発生。元々シンプルに作ってどんな環境でも見れるようにしたいと考えていたこともあり、フレーム構造自体をやめることにした。

フレーム表示のガイド部分が登場したのは2000年の秋のこと。以後4年にわたって『identity market on WEB』の案内役を務め、そしてサイトの変遷を見守ってきてくれた。
ネットの世界で4才といえば、もう老人といってよいだろう。長い間お疲れ様でした。

これで前任者が作ったコンテンツは、旧作紹介コーナーに一部を残すのみとなり、第一線(?)からは完全に退く。サイト開設から6年半、ようやく独り立ちできた!という気分だ。

・・・大袈裟やね。
でも今までサイト作りに協力してくれた人達への感謝の気持ち。これが根底にあるから余計に感慨深いんだよね。
でもネット世界は難しいね。未だ形にするだけで瀬一杯。デザインのアイデアを形にすることすら侭ならない。
「独立」はあくまで最初の一歩。
これから、だぁね。

『identity market on WEB』

ドットコム 2005,1,22
年末の繁忙期ゆえ、アドレス変更後ほとんど放ったらかしになっていたウチのホームページ。実はアドレス変更の届出すらまだロクに出してなかった。
というわけで、各検索サイトでヒットするアドレスを調べていたら、なんと古い方(http://www.wms.jp/~im/)でも新しい方(http://wms.jp/im/)でもないアドレスがヒットするではないか!

http://wms-im.com

知らん!.comのサーバなどオレは知らん!そんなところにページをアップロードした覚えはないぞ!

昨年10月のアドレス変更以降、サーバ管理人指定のアップロード先はhttp://dp29025949.lolipop.jp/。なぜロリポップ?とこれだけでも謎だったのだが、さらに今度はドットコム。う~む。ネットは未だ分からんことばかりだ。

ま、長く使っていけるアドレスだったら、ロリポップでもドットコムでも構わないんだけどね。
検索サイトの世界では、ウチのサイトは未だほとんど「Not Found」。やっぱアドレス変更のダメージは大きいワ。(変更届を出してなかったオレが悪いんだけどね・・・)

ファイト! 2005,1,21
NHKvs朝日新聞社。
予算や人事を国に管理されているNHKが国や政治家寄りになるのは当然のこと。NHKに公正な報道を期待する方がおかしい。
また公権力の不正を監視し報道していくのは民営メディアのあるべき姿。朝日新聞社に政治家やNHKと仲良くやれというのもおかしい。
つまり今回の衝突は起こって当然。
ゆえに大いに争うべし。

最近個人を標的にしておいて報道の自由がナンだカンだとほざいているような阿呆メディアが多くて辟易していたが、今回は準国営放送vs全国紙。メディアとしての本来の使命を果たしたが故の宿命の対決だ。リングに立った両者に拍手を送ろう。

既にゴングも鳴らされた。視聴者や読者なんかに遠慮する必要はない。互いに力を尽くし、決着がつくまで正々堂々戦って欲しい。
そして戦いが白熱すれば、準国営放送側のセコンドにいる阿倍晋三議員の人格もあぶり出されてくるはずだ。次期総理とも目される人気政治家である彼が、果たしてそれに相応しい人物なのか否か。これが分かればそれだけでも有意義な戦いだったと認めよう。

ファイト!

長鯛 2005,1,20

ここに掲載しておりました文章は削除させて頂きました。
整理後ブログにてあらためて発表いたします。



『identity market on BLOG』

[http://blog.identitymarket.net/?eid=131921]

最低の教育者 2005,1,19
ゆとり、個性、学力・・・何を重視しようが構わない。
大事なのはただひとつ。一貫性を保つこと。
コロコロ変わる人間は信用出来ない・・・当り前のことだろう。

某大臣、
マスコミ連中、
そしてつい十年前までは"ゆとり教育"と言っておきながら、"学力低下"に変節し、舌の根も乾かないうちにそれを批判する無責任な一般国民が考えを改めない限り、日本の教育に未来はないだろう。

丸五年 2005,1,17
8日に告知した通り、昨日の夜はnehanがあった。

野外レイヴやチルアウト・フロア、カフェなどで聴くアンビエントもいいけど、シンプルにアンビエントだけで気持ち良くなるイベントもアリでしょ・・・と、スタートして丸5年のこのパーティ。最近は企画を作り込まず、出演者(&お客サン)が持ち寄ったモノをその場でセッション的に合わせてやっている。ゆえにどんなイベントになるかは、蓋を空けてみないと分からない。

さて、というわけで新年初の開催となったnehan。しかし天気は行く人まばらな冬の雨。今夜は暇かなと考えながらソロリとスタート。
おやおや、今夜のDAISUKE君はエレキギターとジャンベを従えて登場。ジャンベの人は夕方下通りで見つけてきたらしい。即席にしては波長バッチシのフリージャム。気持ちよかった・・・。
YUKEI HEARTもダラブッカを織り交ぜてのDJプレイ。そしてワタクシHARUMOもシンセ(KORG WAVESTATION)の導入により新境地へ。
電燈、布、そして清乃の手作り蝋燭。おまけにイエローサブマリン。デコも上手くハマってた。

心配されたお客サンも適度に集まり和やかな雰囲気。フライヤー見て来てくれた初対面の人達とも話が出来たし、新鮮な空気の香り漂う、楽しいパーティになりました。みんなありがとう!

99年から始めた畳敷き(昔は御座敷きだったっけな)アンビエントパーティも、桃尻三年餓鬼八年、丸5年にしてようやく実が付き始めたのかも!

「よし!今年はこの実を大きくするゾ!」

スマトラ沖地震<補足> 2005,1,15
昨日参考資料として挙げたWEB版『じゃかるた新聞』によると、インドネシアを訪問した自民党の武部幹事長が10日にカラ副大統領と会談。日本の災害援助プランを説明したその席で
「『災い転じて福となす』と言う言葉があるが、これを機にアチェの政治的・社会的安定を成功させて欲しい」
と発言したそうだ。

一見問題無いようにも思えるが、相手のカラ副大統領はなんとアチェを弾圧してきたゴルカル(※8)の党首。直前にはユドヨノ大統領(民主党党首)にも会っているというのに、わざわざゴルカル党首に言ったとなれば意味は明らかに「アチェの独立運動をしっかり取り締まれ」である。

さすがは自民党の軽口キング。国際問題になりかねない失言だ。
ところがこの発言、一般のマスコミでは報じられていないようだ。
(やっぱり「申し合わせ」があるのかなぁ?)

同日、インドネシア政府はアチェにおける援助の規制を発表した。


(※8)ゴルカル(GOLKAR)は厳密に言うと「職能グループ」であり政党ではないらしい。ゆえに役人や警察、軍人等の公務員が係わる事も可能であり、スハルト大統領の長期独裁体制を支える原動力となった。1998年、民主化運動に追い込まれスハルトが退陣。政党の自由化により独裁の立場は失ったものの、翌年国際監視団のもとで行われた総選挙でも第2党として踏み止まった。ハビビ、ワヒド、メガワティと相次いだ政権交代の中でも生き残り、昨年の総選挙で第1党に復活。直後の大統領選挙では党内がまとまらず新興の民主党ユドヨノ党首に敗れたものの、ユドヨノ氏支持に回り副大統領となったカラ氏が党内を掌握し、現在は与党の一員となっている。多民族・多宗教国家インドネシアにおいては特定勢力に対する警戒心が強く、またその後続いた短期政権の頼りなさも手伝い、結果、かつての独裁の強みで全てを呑み込んでいたゴルカルが根強く支持されているのだろう。
なお、インドネシアの政治については前出の参考資料『インドネシア専科 大槻重之著』[WEB版]の「D:政治」の各章を参照されたし。

スマトラ沖地震<8> 2005,1,14
<昨日より続く>

アチェ特別州には古くから独立運動があり、それをインドネシア政府は弾圧してきた。そして本音では独立を阻止したい欧米や日本は、東ティモールのように独立を支持することなく、弾圧を黙認してきた。・・・と、ここまでは前にも述べた。

アチェ独立運動の中核はGAM(※7)という組織だ。このGAMが仕掛けるゲリラ戦にインドネシアは悩まされてきた。そこへ今回の地震が起き、アチェは壊滅的な被害を受けた。当然GAMも大きなダメージを受けたはずである。

もうお分かりであろう。インドネシア政府の狙いはGAMに復興資金が流れないようにすることだ。そうやってGAMの弱体化を図り、独立運動の芽を摘もうというのだ。
欧米各国や日本も考えは同じ。制限に対し表向きの批判はしても、今までの弾圧と同様、実際は黙認するだろう。

むろん「救援」を隠れミノにしたGAMへの活動資金提供は極力阻止するべきだ。だが宗教や思想、活動による救援の差別もあってはならない。
それを防ぐ唯一の手段は世界の監視。世界がアチェに目を向けている限り、不正な救援活動は為し得ない。

だからこそオレはアチェからの報道が少ないことを問題にするのだ。この連載の当初、まだインドネシアが自由な救援活動を保障していた時から、アチェに関しては外国のTV局が撮った映像を流すのみで、日本のメディアによるリポートは見受けられなかった。邦人の犠牲者が出たプーケットやスリランカが優先されるのは仕方が無いにしても、「TSUNAMI」の英語が示す通り、津波は日本の得意分野。各国の先陣をきってアチェの惨状をリポートするのが本来のスジというものであろう。

アチェ独立問題を闇に葬りたい日本政府とメディアとの間に何らかの申し合わせがあるのか否か?それは分からない。言えるのは、ただ、アチェからの報道が少ない事。そしてそれを日本政府は歓迎するだろうという事。これだけだ。

各国の思惑あって支援金は問題なく集まる今回のスマトラ沖地震。
個人が為すべきは支援よりもまず監視である。と、オレは考えている。

<おわり(1/15,26に補足あり)>

(※7)GAM=Gerakan Ache Merdeka(アチェ独立運動)。1976年結成。アチェの分離独立を掲げる。東ティモールのFretilin(東ティモール独立革命戦線)と同様、ゲリラ戦を得意とする武装組織である。ちなみにオレはいかなる武装組織・国家も支持しないことにしている。


<参考資料(追加)>
『じゃかるた新聞』[WEB版](2004 PT. BINA KOMUNIKA ASIATAMA, BYSCH、2005年1月13日掲載版)[http://www.jakartashimbun.com]

スマトラ沖地震<7> 2005,1,13
<1/10より続く>

スマトラ沖地震の支援国会議がジュネーブで開催された。半年分の緊急支援として国連が要請した10億ドルのうち合計7億1700万ドル(約740億円)が約束され、残り3億ドルも確保のメドがついたという。このうち日本は2億5千万ドル。2位イギリスでも7400万ドル。アメリカに至っては3500万ドル(6位)だというから、日本の突出ぶりが目立つ。
前述の通りインドネシアと日本は特別な関係。ましてや今回の被災国には官民どころか皇室、さらには<防衛面においても緊密な信頼関係を築いている>というタイも含まれている。援助額NO.1の地位は譲れないということであろう。ご近所であるわけだし、歴史的経緯もある。今回の拠出についてはオレも支持する。

日本以外の国にとっても今回の被災各国は親密な関係を築きたい相手。長期的な支援を含めれば各国が表明した援助額は50億ドルに達するという。また資金の流れについても国連がチェックし公表していくというから、軍事的意図からスリランカを優遇したいアメリカの身勝手(※6)さえ許さなければ、復興支援は順調に進むであろう。

ただしスマトラ島・アチェについては、インドネシア政府が救援活動を制限し始めた。州都BANDA ACEHと西岸のMEULABOH以外の地域へ入る場合は事前に許可をとり、なおかつインドネシア国軍の同行が必要となった。また救援活動自体も3月末までに限定された。
・・・やっぱり、の事態である。

<明日に続く>

(※6)今回の救援活動でスリランカを優遇し、その見返りとして米軍基地の建設を認めさせたいというのがアメリカの本音。国連抜きの救援枠組みを言い出した理由も勿論ここにある。インド洋には原住民を追い出して強引に作ったディエゴガルシア基地があるにもかかわらず、更にスリランカにも基地を作ろうとする理由は、恐らく大国インドを牽制したいからであろう。なおディエゴガルシア問題については(ココおよびココを読んで欲しい。


< >内:『外務省 The Ministry of Foreign Affairs of Japan』>各国・地域情勢>アジア>タイ(1995-2005、The Ministry of Foreign Affairs of Japan[外務省]、2005年1月13日掲載版)[http://www.mofa.go.jp/mofaj/]

<参考資料(追加)>
『なご平和電脳組』>国際部/アイランド・カズンズ・ネットワーク>インド洋:ディエゴ・ガルシア島(なご平和電脳組、2005年1月13日掲載版)[http://www.cosmos.ne.jp/~miyagawa/nagocnet/index.html]

『朝日新聞2005年1月13日<西部本社第10版7面>』(朝日新聞社、2005)

スマトラ沖地震<6> 2005,1,10
<昨日より続く>

これらの中でも特別な存在なのが、アチェで産出される液化天然ガス(LNG)だ。
天然ガスは原油同様世界各地で産出される資源であるが、かさばる気体であるためタンカーや車輌での輸送に適さない。ゆえにパイプラインでの輸送が主流となる。ところが島国の両国にはこれが出来ない。そこで液体に圧縮して運ぶことになる。液化しないと輸出出来ないインドネシアと輸入出来ない日本。ココに相手を選べない貿易関係が成立する。(※5)
そしてその液化天然ガスの工場はインドネシアにたった2つ。そのうちの1つが古くからあるアチェのアルン工場なのだ。

アチェの独立運動には、ガスの利権も当然絡んでいる。独立しても当面の輸出先は日本しかないであろうが、将来的には「台湾に変えようかな」などと脅される事態も発生しかねない。アチェが深い相互依存関係にあるインドネシアから分離独立し、動きの読めない新興イスラム小国となる事態は、何としても阻止したい。これが日本の偽らざる本音であろう。

<続く>

(※5)<インドネシアのLNGの90%は日本へ、日本のLNGの半分はインドネシアから>(『インドネシア専科 大槻重之著』「E-6 輸出特産品 548.LNG/液化天然ガス」より)
この一国依存状態から脱却すべく、ロシア・サハリンから日本に海底パイプラインを敷設するプロジェクトが打ち出されているが、北方領土問題など政治的要素も絡み先行き不透明。また日本国内のパイプライン網も未だ整備されていない。

スマトラ沖地震<5> 2005,1,9
<1/7より続く>

その伝統は現在も変わらない。
<インドネシアにとって日本は輸出入両面で最大の貿易相手国>であり、<インドネシアにおける日系企業は約1,000社に上り>、民間の直接投資額の累計(1967年以降)もインドネシアがトップとなっている。日本政府もこれを後押しし、<最大の政府開発援助(ODA)供与国>の立場を守るべく、<ODA全体の約1割>をインドネシアに振り分けている。これも累計でトップだそうだ。
また日本からみても<インドネシアは輸入額で中国、米国、韓国に次ぐ第4位(2003年)>の国であり、石油、石炭、天然ガスを依存する<重要なエネルギー供給国>。世界有数の産出量を誇る銅や錫は勿論、ニッケル、ボーキサイトなどの非鉄金属やゴム、合板なども依存しまくり。エスニック雑貨屋の買付けのメッカとなっていたりするなど、数字に表れない部分での交易も深い。
観光面での相互依存も忘れてはなるまい。最近はタイのプーケット島周辺に押されっぱなしだが、ひと昔前まで東南アジアといえばまずシンガポール。そしてそれに続く観光地がインドネシアのバリ島だった。

<明日に続く>

< >内:『外務省 The Ministry of Foreign Affairs of Japan』>各国・地域情勢>アジア>インドネシア(1995-2005、The Ministry of Foreign Affairs of Japan[外務省]、2005年1月7日掲載版)[http://www.mofa.go.jp/mofaj/]

1/16 nehan 安眠祭 2005,1,8
寝転がりながら楽しむアンビエント・パーティ「nehan」
今年から原則として毎月第3日曜日に開催されることになりました。

畳敷きスペースで朝までゆったり、まったり、そしてぐっすり。でも気持ちいい音の群れに身をまかせていたら、意識と無意識の狭間から己の魂が語りかけてきた。
・・・・・・そんな体験をしてもらえたら嬉しいデス。

ご来場お待ちしております。

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■日時:2005.1.16(日)22:00~翌朝
■会場:green (熊本市・・・銀座通り下通り交差点スグ/Tel.096-327-0028)<案内図>
■入場料:1,000円
■内容:アンビエント(※1)・クラブイベント
■出演者<予定>
DJ&LIVE:KATSUMI、マントラ、 DAISUKE、TONGUE KONG FU、SHU、中野"Coe"功一朗、YUKEY HEART、HARUMO

★楽器、声、マッサージ、料理、お絵描き、スマイル etc...参加者募集中。
「気持ちいい」にピンと来たら、ぜひご連絡ください。

スマトラ沖地震<4> 2005,1,7
<昨日より続く>

南方戦線の激戦地としてのイメージが未だ強いインドネシアであるが、日本との関係を紐解けば、この地が"じゃがたら"と呼ばれていた時代から続く、交易によって結ばれた間柄である。しかも、オランダ(※3)という政治的ファクターは存在したものの、"カラユキサン"からデヴィ元大統領夫人まで人的移動を伴う民間主導の交易(※4)だった点が、両国の関係を特別なものにしてきた。

<1/9に続く>


(※3)インドネシアはかつてオランダの植民地だった。「蘭領東インド」として植民地化されたのは1799年だが、オランダによる支配の歴史は(奇しくも徳川幕府の誕生と時同じく為された)「東インド会社」の進出まで遡る。江戸時代の鎖国中も唯一交易を認められたオランダ人が、当時を含め350年もの間インドネシアを牛耳っていた。・・・この史実がインドネシアと日本の距離を縮めた事は疑うべくもない。

(※4)詳しくは昨日参考資料として挙げた『インドネシア専科 大槻重之著』[下記WEB版]の「C-8章・日本との関連史」を参照されたし。

スマトラ沖地震<3> 2005,1,6
<昨日より続く>

アチェ特別州は、東ティモール州(現東ティモール民主共和国)、パプア州(ニューギニア島西部)と共に古くから続く独立運動があり、それに対しインドネシア当局が弾圧を繰り返してきたとされている地域である。基本的に部族社会であり「独立」よりもむしろ抵抗運動に近いパプア州はともかく、なぜ東ティモールばかりが国際的な支持・支援を受け、歴史的にも規模的にも東ティモールより遥かに大きな独立運動である(それゆえ最も弾圧されてきたと思われる)アチェは受けられないのか?

その理由は宗教の違い。東ティモールの住民はカトリックのキリスト教徒であるのに対し、アチェの住民は<東南アジアで最も敬虔なイスラム教徒>なのだ。キリスト教徒への弾圧は断固許さないが、イスラム教徒への弾圧に対しては知らんぷり。現在でさえインドネシア内で唯一イスラム法がしかれるアチェ"特別"州。独立すれば当然イスラム国家が誕生する。むしろ独立は阻止したいというのが欧米各国の本音であろう。

ではキリスト教にもイスラム教にも関係ない日本はどうか?
アメリカに媚びるばかりの日本に期待する人間なぞハナからいないだろうが、それを差し置いたとしても、やはり本音は独立阻止なのだ。

<明日に続く>


< >内:『インドネシア専科 大槻重之著』[下記WEB版]>インドネシア専科目次>D-6国家分裂の危機>435.アチェ問題の原点

<参考資料>
『インドネシア専科 大槻重之著』[WEB版](大槻重之、2005年1月6日掲載版)[http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/]

『Jakarta Japan Club』>Webインドネシア・ハンドブック2003年版(2004、Jakarta Japan Club、2005年1月7日更新版)[http://www.jjc.or.id]

スマトラ沖地震<2> 2005,1,5
<昨日より続く>

もう十数年も前のことだが、オレはスマトラ島に行ったことがある。スマトラ島最大の都市メダンからトバ湖、ブキティンギを経由してパダンまで。確か5、6日かけて陸路を旅した。
数々の驚きに満ちた楽しい旅だったが、中でも一番の驚きだったのは、日本人観光客に全く会わなかったことだ。オレが訪れたのはインドネシア有数の観光スポットばかり。実際、欧米豪アジア各国の観光客はかなりいた。ところが日本人だけは全くいないのだ。珍しいということで地元の人に興味を持たれ、おかげで楽しい旅路になったのだが、それはさておき、なぜ日本人だけがいないのか?・・・原因はバリ島人気が高いから。バリ島(テンパサール)はジャカルタと並ぶインドネシアのハブ空港だが、なぜかスマトラ島への直行便がない。(※1)従ってスマトラ島はバリから入国する日本人の観光ルートには入りにくいのだ。

そんなワケで戦後日本人の視野から外れてしまったスマトラ島。今回の地震でタイやスリランカのような邦人被災の報告が無いのも当然だろう。最初から日本人はいないのだから。
だが地震の震源は名が示す通りスマトラ島沖。当初は実態すら掴めなかったが、犠牲者数だけでも10万人。やはり甚大な被害を被っていた。
その割には現地からのリポートが少ないのではないだろうか?
被災の中心が島北端のアチェ特別州(※2)だけに、尚更問題に思うのだ。

<明日に続く>

(※1)最近国営ガルーダ航空の民営化と規制緩和による多くのベンチャー企業の新規参入により、航空網の整備が急速に進んだ模様。よって現在は直行便があるかも知れない。

(※2)これも最近「ナングル・アチェ・ダルサラム州」と改名されたようだが、意味も改名の意図も不明なので、ここでは旧名「アチェ特別州(DAERAH ISTIMEWA ACHE)」を使うことにする。


↓パラパト(トバ湖沿岸の町)からブキティンギに向うバスで知り合ったオッサン2人。
  SUPRIJALさん(右)はアチェ州、しかも震源間近の南アチェ県KUALA BATEEに住んでいた。無事を祈る。

スマトラ沖地震<1> 2005,1,4
発生から10日、スマトラ沖地震の犠牲者が遂に15万人を超えてしまった。

学者ですら想定し得なかった地域での地震と大津波。天災という他ないだろう。
被災各国に対する国際的な支援活動も、政治的思惑を露骨に出しているアメリカの態度が鼻につくものの、今のところ順調に推移しているようだ。

と、ここまでは『裏凡』で書くべき問題点は無かった。
だが、残念ながら、年が明けてひとつ出てきてしまった。
書くべき問題点、それは一番の被災地、スマトラ島・アチェについての報道が足りないのではないかということだ。

<明日に続く>


続迎春 2005,1,2
輝く初日に向って飛んで行きたくて、今年の年賀状は昨日のバージョンに。
けれどもこっちの方も捨てるにゃ惜しい。
というわけでココにてご披露。

イラスト&デザイン:sss(ウチのチーフデザイナー)デス。

迎春 2005,1,1
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。