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SynSekai -2004 Spring-<予告ver.2> 2004,4,30
SynSekai -freestyle ambient apace- *Spring2004*

日 時:5/22(土) 14:00 ~深夜 <夕方よりライブあり>   5/23(日) 11:00~18:00

会 場:GALLERY ADO (熊本市河原町/Tel.080-5603-1470)

入場料:土日通し=1,000円(おもてなし付き)  日曜のみ=500円(おもてなし付き)

出演者:ART以外はこれから決定……随時発表していきます!

=出演決定(4/27現在、順不同)=
●仲山桂(ASHURA BLUE);ART,GOODS,LIVE
●フルショウシンゴ;ART
●夜川けんたろう;ART
●GOA;ART,LIVE PAINTING
●楽らく;リメイクキモノ&抹茶
●宮原春萌(identity market); DJ,WRITING
●MOJO;Support DJ

4/12の日記で告知した5/22、23のイベント、ようやく概要決定!
ホームページ「最新情報」コーナーに詳しく載せたんで、ご覧あれ。

                  ↓フライヤービジュアルも完成・・・シンプルやけど・・・

ついに最下位・・・ 2004,4,29
ついに最下位・・・。
しかも昨日なんか休前日のジャイアンツ戦だってのに動員26,000人。3分の2しか入ってねぇ。
なんか負け方まずいし・・・ヤバイねぇ。

んで、今日も負けてジャイアンツに4連敗・・・。
これじゃあそろそろ“八百長疑惑”かけられかねんな。『週刊ポスト』あたりにね。

とりあえずスワローズ日記。
この日記、96年からずっと休まず続いている(しかもオフシーズンも!)すごいサイト。
スワローズファンの誇りやね。

↓九州じゃ神宮行くわけにもいかんから、せめてもの気持ち。78年初優勝ん時のステッカー付だぜぃ。

都城<後編> 2004,4,27
<4/19より続く>

都城はその名も通り古くから栄えてきた街だ。後に薩摩藩主となる島津家が興った地でもあるという。
だが歴史ある街にもかかわらず、ここの市街地は広々とし、太い道路が縦横無尽に走っている。(島津家の成せる業かも・・・)
だから車でどこにでも行ける。駐車場所にも困らない。

実際、地元の人と行動を共にすると、歩くことはほとんどない。仕事、買物、趣味雑用。移動の時は全て車。ドアからドアまでみな車。・・・どうりで人通りがないわけだ。

地方都市はクルマ社会。オレの住むここ熊本も変わらない。だが街に入ればかえって不便。道は狭いし路駐もしにくい。歩った方がよっぽど早い。歩った方が早いから、車を降りて通りを歩く。だから人が通りにいる。そして交わりチカラとなる。

しかし全てが車の都城では、人が通りを歩かない。だから他人と交われない。ご近所か仕事仲間、同窓生でない限り、他人と出会う事はほとんどないに違いない。これじゃあ街の意味がない。さびれていって当然だ。

立派な道路にさびれた市街。今やどこの地方でも見かける光景だ。
こういった街は“地方格差是正”の名目で投じられた巨額の公費によって作り出された。道路や橋といった分かりやすい公共事業。一時的には雇用も生まれる。3、4年の任期でジッセキをアピールするにはもってこいだ。

だが、便利でキレイになれば即栄えるというほど、街は単純なものではない。
不便さ、狭さ、猥雑さ。何が起こるか分からない。こういった要素も街には必要なのだ。一度東京に住んでみるといい。車で動くにはとんでもなく不便で、どこへ行ってもごちゃごちゃ狭く、裏へ回ると古びて汚い。日本一の大都会はこうした要素も日本一なのだと思い知るだろう。

とにかくまずは車を降りること。降りて街を歩くこと。
そうしない限り、いくら整備を進めても、地方都市が再び賑わうことはないだろう。
「街」とは十字路。交わるトコロなのだから。

<参考資料>
みやざき-宮崎県(http://www.pref.miyazaki.jp/)>統計・データ>国勢調査(2002、宮崎県、2004.4.26掲載版)

都城市(http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp)>統計(1997-2004、都城市、2004.4.26掲載版)

クロメダカ 2004,4,24
玄関前のプラ舟にクロメダカの稚魚確認。
いよいよ春本番やね。

それにしてもメダカという魚の生命力には驚くばかりだ。
冬には氷、夏には水温40℃。しかも雨水入り放題。日照りで減った水を足すだけで水換えすらしてないというのに、勝手にどんどん増えていく。
しかも最初に獲って来て2年半、最初の成魚も未だ健在。雑草の如き生命力だ。

何年か前、メダカが絶滅危惧種に指定され大騒ぎになった。
実際、ここ熊本でメダカを見ることはほとんどない。実はウチにいるのも山陰で獲って来たメダカだ。
そしてメダカを育てて放流するなどという愚かな行為が、全国至る所で平然と行われている。
(放流はいかなる場合も環境を乱す行為である。特に検疫なき放流は環境破壊に等しい。・・・放流については機を改めて書くことにスル)

だが、メダカというのは本来、雑草並の生命力を持つ魚なのだ。だから水田などという人工の環境でも繁殖できるのだ。
メダカを絶滅から救いたい・・・ならばメダカが生育できる環境を作りさえすればいい。
流れがほとんどなく、稚魚が隠れる水草があって、農薬が溶けておらず、そして鯉がいないこと!・・・それだけでよい。
あとは勝手に繁殖し、適度に増えたところで落ちつくはずだ。

メダカに限らず環境保護はかくあるべき。言葉の通り、「環境」を「保護」するに留める。
生命を保護しようなどという過信に満ちた行為は生態系の破壊を招くのみ。めぐりめぐって人類へのしっぺ返しを招くのみだ。

生命に対し人類の科学は未だ無知に等しい。そのことを人類はもっと自覚するべきだ。
自らの絶滅を防ぐためにね。

着メロ 2004,4,23
着メロが苦手だ。
いや、他人の着メロが嫌なワケじゃない。むしろ持ち主の趣味を垣間見れることを楽しんでいるぐらいだ。
だが自分の携帯から着メロが流れるてくるのはどうしても嫌なのだ。
よって番号が9ケタだった時代から、常にデフォルトの着信音を使っている。

なぜ着メロが嫌なのか?
理由は簡単。音楽が好きだから。
音楽が好きだから、聞き流すことが出来ないのだ。
たとえチープな電子音であっても無意識のうちに聴き入ってしまい、さらに感情まで左右されてしまう。
その感情をなんとかコントロールしながら電話に出る。仕事にせよ私事にせよ、電話がかかってくる度にこんな有様じゃ、それだけでクタクタになってしまう。
むろん「着うた」なんてもっての外。あんなリアルな音楽を聴かされた日にゃあ、電話に出ることさえおぼつかなくなってしまう。

実を言うと一度だけ着メロにしてみたことがある。デフォルトの着信音を使っていると、街で同じ呼出音を聞いて自分の携帯が鳴っていると勘違いしてしまうことがよくあるが、それを避けたかったからだ。
そこで自分で着メロを作ってみた。自分で作った音楽なら聞き流せるだろうと考えたのだ。
・・・だが、甘かった。
なるべく無機質に、なるべく音楽にならないように作ってみたのだが、それでもやはり、いつの間にか聴き入ってしまう。そのうち慣れると思ったのだが、何十回と「聴く」につれ、かえって深く聴き入るようになってしまった。

結局ひと月もたずして元の着信音に逆戻り。
以降、デフォルトの着信音をいじったことは一度もない。

だが、そんなオレも、朝起きる時だけは着メロを使っている。
曲は「はと時計」。
・・・えっ!それは「着メロ」じゃないって?いや、オレにとっては充分「着メロ」なんだけど・・・。

還暦 2004,4,21
そういえばあと1年ちょいで終戦から60年。還暦を迎える。

60年が単位なっているのは人生が実質60年だからか。
物心つくのが10才とすれば、そこから生きて70才まで60年。
とすれば今の日本なら75年で還暦というのが本来妥当なところだろう。
いずれにせよ、人生と同期間で暦が一巡するという先人達の考えに、近頃、納得させられることが多い。

人生60年といっても、普通は30才ぐらいまでに子供を作るから、それぐらいの年数で世代は交代する。だから60年という歳月は2~3世代分になる。
だが、先人達は60年を暦の単位とした。つまり歴史は30年ではなく60年で動くと考えたのだ。
社会や経済の担い手は30年で世代が交代する。
だが、記憶は体験した人が生きている限り生き残る。
その個々の記憶がひとつになって、社会全体の記憶となって生き残る。
だから歴史は60年。先人達はそう考えたのだろう。

ともかく来年で終戦60年。還暦を迎える。
今の日本ならあと15年あるのかもしれない。
ともかくもうすぐ「戦後」が終り、ポスト「戦後」の時代が始まる。
どんな時代が始まるのか?いや、どんな時代にしていくのか?・・・まだ見えない。
だが、「戦後」が終るという大局観は全ての日本人が共有しておかなければならない。
最近そう思うことが多いのだ。

ちなみに75年前といえば、その少し前に治安維持法が制定。そしてこれから満州事変、5.15事件、国際連盟脱退、2.26事件、日独伊同盟、そして太平洋戦争・・・つまり軍事体制と日本軍の暴走が始まっていくという年である。

矛先違い 2004,4,20
“自己責任”論はいいとして、イラクで人質になった5人を“税金泥棒”とか批判しているアンタがた、批判の矛先間違えとるよ。
人質を救出するかどうか決めたんは政府なんだから、批判するんだったら政府を批判しなよ。

都城<中編> 2004,4,19
<昨日より続く>

「街」として一番大事なチカラ:それは交わるチカラ。異質な人が交わることによって生まれるチカラだ。

もともと「街」とは十字路の意味。異質な人が交わるところにチカラが生まれ、チカラは人と物を引き寄せ、そこに街と呼ばれるものが生まれる。引き寄せられた人が交わりに加わり、そこに更なるチカラが生まれ・・・という循環で街は発展していく。
逆に人が交わらなくなれば、街はたちまち失速する。そして循環は逆回りを始め、街は衰退に向う。

都城市街をひと通り回って感じたこと。それは人がいないということだ。
商店街や繁華街は完全にさびれてしまっている。百貨店もオープンしたての別館を含め日曜とは思えない集客だ。大通り沿いも人通りはまばら。かといって郊外のショッピングセンターも特に賑わっているわけではない。
だが住宅は多いし車も頻繁に通る。人はいるはずだ。だがいるようにみえないのだ。

人がいるということは、統計も裏付けている。
都城市が最後の合併をした1968年以降の人口の推移を見ても、70年=11.5万人、80年=12.7万人、90年=13.2万人、00年13.3万人、そして03年が13.3万人。増加は止まったものの減少には転じていない。
世帯数に関しては70年=3.4万世帯、80年=4.1万世帯、90年=4.5万世帯、00年=5.2万世帯、03年=5.3万世帯。今なお増加し続けている。
市外から通勤通学で流入する人口は1.9万人。流失人口0.9万人を差し引いてプラス1.0万人。これも増加傾向にある。
周辺町村(北諸県郡5町、西諸県郡2町1村)の人口はさすがに減少しているが、ここ12年間で▲0.3万人というから大した影響はないだろう。

とにかくここ都城に人はいる。
それなのになぜいるように見えないのか?
・・・それは人はいても集まっていないからだ。

<4/27に続く>

都城<前編> 2004,4,18
都城市。宮崎、鹿児島両市の中間に位置するこの都市は、交通網を放射状にのばす南部宮崎の中心都市だ。人口13万。記憶が正しければ近年に至るまで人口も維持している。
また日本有数の降雨量と霧島連山がもたらす肥沃な大地は、畜産をはじめこの地の農業を名のあるものとしてきた。

だがこの街は「街」として一番大事なチカラを既に失ってしまっている・・・そう思えてならなかった。

<明日に続く>

解放と殺害 2004,4,16
3人の日本人が解放され、1人のイタリア人が殺害された。
アメリカに媚び売って軍隊送った両国。
だが、結果は正反対だった。
まだ日本にはイスラム社会に貢献してきたという過去の貯金が残っていた。だから助かった。
・・・そう考えたい。

実際は拉致したグループも違うし、殺されたイタリア人はアメリカの警備会社で働いていたっていうから、全く比較になんないんだけどね。

・・・でも、そう考えたい。
そう信じたい。

鷺沢萠氏急死 2004,4,15
作家の鷺沢萠氏が急死されたそうだ。
作品すら読んだことないので死因とかに興味はないけど、訃報記事読んで驚いた。この人、大学の1年先輩だったんだ。しかも在学中にデビューして、ベストセラー出して、んで除籍処分。・・・いやぁ、全然知らんかったデス。よくあの小さな大学で知らずにいたモンだ。
・・・・・・。
去る者追わず。ご冥福をお祈りいたします。

DJ10年 2004,4,14
今月でDJ始めて10周年。けど、どうも最近、クラブは若手にまかせとこモ-ドになってきている。いや、一線退くってんじゃなくて、もっと新しい境地でDJしたくなってきたってトコ。

ま、野外とかギャラリ-とかファッションショ-とか・・・昔もイロイロやってたんだけどね。
でも、もっと先に行きたいんだよね。まだ具体的に表現する言葉が見つかってないんだけど・・・。

DJにはまだまだ未開拓の領域が多い。その未開拓の原野を、年寄らしくのんびりと、じっくり開拓していこうと企む11年目の春でゴワス。



あ、別にクラブでDJするのをやめるってワケじゃないデス。
もちろん声がかかれば出来る限り参加しますよ。

SynSekai -2004 Spring-<予告ver.1> 2004,4,12
5/22(土)、23(日)の2日間、半年ぶりにアンビエント・イベント開催決定!

今回の会場は熊本・河原町のNEWスペースGallaryADO。
年季の入った木造民家をほぼそのまま利用した、ただ居るだけでも心が引き締まる空間。
その空間に視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚などあらゆる感覚の“気持ちいいを取り揃え、みなさんをおもてなしする2日間。

詳しくはホームページの「最新情報」コーナーをご覧くだされ。

人質事件解決策<後編> 2004,4,11
<昨日より続く>

ともかくいま必要なのは中立の信頼を取り戻すこと。アメリカの下僕でないと示すこと。
もちろん上記の案で解決するかどうかは分からない。処刑を止められないかもしれない。だが「撤退しない」の一言で片付けたら3人が処刑されるのは確実だし、かといって彼等の要求を呑んで即時撤退するわけにもいかない。(撤退しても“テロに屈したことになる”とは思わないが、群雄割拠するイラク情勢を考えれば、同種の人質事件を頻発させるきっかけになってしまうことは間違いないだろう。)

活動の自粛。アメリカ批判の声明発表。まだまだ他にもあるだろう。ともかく「撤退する」「撤退しない」の間にしか解決策は存在しない。彼等は声明で「二者択一」を迫ってきた。だが、第3の案を以って解決を図るのが交渉の王道というものだ。硬直化した極論に惑わされずに、賢明な解決策が出されることをオレは願う。



最後にひとこと。3人の行動を“軽率だ”と非難する声が一部にあるが、それは的ハズレも甚だしい。今のイラクで活動すれば身に危険が及ぶ可能性があることぐらい誰にでも分かる。人質として囚われ今回のような事態に及ぶことだって、彼等はちゃんと想定していたはず。それでも彼等は行ったのだ。本当の意味での人道支援のため、あるいは本当の意味での報道のため、命をかけて行ったのだ。
彼等の行動に賛成するか反対するかはアナタの自由だ。だが、彼等は間違いなく確信犯だ。軽率呼ばわりするのだけはやめて欲しい。
(ちなみにオレは報道や教育支援はともかく、一般人を対象とする「人道支援」には反対だ・・・これについては後日機会をみて、あらためて書くことにする)

<おわり>


※今日のアップにともない、昨日の日記を一部書き直しました。これを確定版とします。(2004.4.11 am5:00)

人質事件解決策<前編> 2004,4,10
はじめに断っておくが、再三ここでも訴えた通り、オレはイラクへの「自衛隊派遣」に反対してきた。そして当然、今でも早期撤退を望んでいる。
だが、3人の日本人が人質となったいま、「撤退する」「撤退しない」の二者択一思考に留まるのは、現実に背を向けるに等しい。そこで解決策を提案することにする。



■解決策その1・・・自衛隊の活動自粛
事件が解決するまで自衛隊の活動を自粛し、事態を静観する。自衛隊がサマワの住民に支持されていれば活動再開を求める住民運動が起こるだろうし、そうでなければ起こらないだろう。「撤退するか否かは民衆の声を聞いて決める。それまでは人質を処刑するな。」と訴えるのだ。

■解決策その2・・・アメリカを批判する声明を出す
事件の元凶はアメリカによる不当な侵略と強引な占領政策にある。そのアメリカに追従しているから狙われたのだ。だから日本はアメリカの属国ではなく、時には忠告し影響を与える独立国なのだということを示せばよい。
批判は国際世論にのっとった正論でよい。大量破壊兵器が存在しなかったこと。先制攻撃を仕掛けたこと。油田の権益をイラクから奪おうとしていること。占領下で不当な弾圧をしていること。そしてイスラエルのパレスチナ弾圧を支持していること。こういう正論でアメリカを批判する声明を出すのだ。

日本がかつてアメリカと戦争した国であることは彼等も知っている。つい最近まで(イスラムでもキリストでもユダヤでもない)中立国としてイスラム諸国の発展に貢献してきたことも知っている。その日本がイラク戦争の参加によって中立の立場を捨てたことは、彼等のみならず全てのイスラム諸国に失望を与えてしまった。日本人が狙われた理由はここにある。
犯人は人質に「NO!小泉」と言わせたという。「NO!日本」ではなく「NO!小泉」・・・今の日本には納得できないが、積年の恩は否定できない。そして出来ればかつての日本に戻って欲しい。そういう複雑な感情が「NO!小泉」の言葉に込められているのではないだろうか?

<明日に続く>

イラク民衆vsアメリカ連合軍<続報> 2004,4,9
4/6の日記に書いたデモは<サドル派系の週刊紙が、米軍を批判し、CPA(暫定占領当局)60日間の発禁処分を受けたこと>がきっかけだったそうだ。
実は4/6の新聞に書いてあったのだが、隅の方に小さく載っていただけだったので、昨日まで見落としていた次第。申し訳ない。

それにして何でこんな重要な事を小さくしか書かないんんだろう?
他のマスコミも大きく取り上げたところはないようだ。
『週刊文春』の発禁事件ではあんなに騒いでいたっていうのに・・・。
やっぱ戦争だから、アメリカの機嫌を損ねるような記事は書けないのかなぁ?

それにしても、
体制を批判した新聞は発禁処分、デモに参加した民衆は構わず射殺、反体制の指導者は別件で逮捕状
・・・さすがは本場アメリカの「民主主義」! 一味違うねぇ。


< >内:『朝日新聞2004年4月6日<西部本社第10版2面>』

『週刊文春』よ、足を引っ張るなかれ。<その9> 2004,4,8
<昨日より続く>

8)『週刊文春』に告ぐ

とにかく出版禁止は取り消された。あとは損害賠償裁判で『週刊文春』に儲けを吐き出させることが出来れば一見落着デアル。・・・そう、一件ではなく一見落着。これで終わったわけではない。言論封じ込めを狙う政府のモクロミ通りになってしまわぬよう、事態を注意深く観察していかねばならない。そして不当な出版禁止その他の言論封じ込めが行わようとした時、断固としてこれを阻止せねばならない。

『週刊文春』に告ぐ。
政府が言論を規制しようとするのは当り前だ。残念ながら当り前だ。それが公権力というものだ。
民衆はそれと戦ってきた。戦って報道の自由を獲得してきた。
だがその自由は永遠に保障されたものではない。政府は常に言論の封じ込めを狙っている。
物陰に隠れてキバを研ぎ、弱点を見つけたらいつでも飛びかかる構えをとり、常に獲物を狙っているのだ。
今回貴誌が狙われたのは、アナタが弱みを見せたから。ガードが他より甘かったからだ。
アナタは不用意な記事で政府のモクロミにハマってしまった。
そのおかげで全マスコミ、全民衆が政府に対し守勢に立たされることになった。
アナタに足を引っ張られてしまったのだ。

今回の発禁は事故としよう。
不用意な記事で介入の口実を作ってしまったという事故だ。
しかし事故であっても罪は償わなければならない。
プライバシー侵害の罪。
そして途中で覆ったとはいえ、一度は販売禁止の口実を政府に与えてしまった罪。
この2つの罪を償っていかなければならない。

そして、今後出版禁止などの言論弾圧が起きたとき、
たとえ他誌であっても、たとえ泡沫メディアであっても、
アナタが率先して誌面で取り上げ、弾圧の事実を公にし、反対世論を盛り上げていかねばならない。
世論を盛り上げ、政府のモクロミを阻止しなければならない。

それがアナタに課せられた、2つの罪に対する何よりもの償いとなろう。

<おわり>

『週刊文春』よ、足を引っ張るなかれ。<その8> 2004,4,7
<昨日より続く>

7)もうひとつの危惧

今もうひとつ危惧していることがある。それは、今後「言論の自由」を悪用するメディアが出てこないかということだ。
今回の事件はプライバシー侵害だが出版禁止には値しないという結論になった。これは過度のプライバシー侵害に対しては出版禁止の強権発動もあり得ることを示した反面、私人に対するプライバシー侵害を以ってしても出版禁止にならない道も示してしまった。

具体的に言おう。あくまで例えばの話だが、今回の事件の裏に長女の政界進出阻止を企む黒幕が存在し、『週刊文春』に記事を書かせていたとしたらどうだろうか?なにしろ相手は角栄元総理の孫にして真紀子元外相の娘。祖父や母のようなカリスマ的人気がいつ起こるやも知れぬ。公の場に登場する前に潰しておこう。・・・と企んだ勢力が何らかの取引を行って『週刊文春』を動かしたというわけだ。

テレビや新聞、総合誌といった報道メディアの影響力は強大だ。政治家や官僚は疑ってもマスコミは正しいと信じきっているヤツが多いこの日本においてはなおさらだ。政府ですら恐れる報道メディアの言論が、もし一般人を攻撃するために使われたら・・・・・・考えるだに恐ろしい。

戦争に反対している人、政治・企業・医療などの疑惑を追及している人、何かの建設に反対している人・・・個人レベル、市民レベルで活動している人は数多い。だがプロの公人と違い彼等の生活基盤はアナタと何の変わりもない。強大な報道メディアから攻撃されたら一発で壊されてしまう。そして「活動」を行っている以上、彼等を好ましくないと思っている、しかも彼等よりはるかに強い権力を持つ人や組織、あるいは国家が存在しているのだ。

ほとんどのマスコミには良識があるはずだ。だから「言論の自由」を盾に個人を攻撃したりはしないだろう。だがマスコミ人とてひとりの人間。報道メディアとてひとつの組織。犯罪行為に走る人間や組織が出てこない保障は全く無い。

だから「言論の自由」とて無条件に認めるべきではない。個人攻撃となり得る「私人」へのプライバシー侵害については、厳密な法規を以って歯止めをかけておくべきだ。
もちろんこの法規はあくまで「私人情報保護法」であって、間違っても「公人情報保護法」や「国家情報保護法」であってはならないとこは言うまでもない。

<明日に続く>

イラク民衆vsアメリカ連合軍 2004,4,6
イラクでアメリカ占領反対のデモ隊にスペイン軍が発砲、22人が死亡した。デモ隊はシーア派宗教指導者、ムスタク・サドル師の支持者で、それに対しアメリカ軍はバクダッドにあるサドル師の事務所を攻撃したという。

デモ隊がどういうものだったのかは分からない。どれだけ住民の支持を得ているものだったかも分からない。アメリカ軍の大本営発表は当然信用出来ないし、群雄割拠状態の現地から出てくる情報を鵜呑みにするわけにもいかないだろう。(そもそも情報操作も戦略のうちという戦争に“正しい”情報なんてあるわけない)

サドル師は反フセイン勢力だったという。シーア派=反フセイン勢力という単純なものではない。だがサドル師の父ムハンマド・サーディク・サドル師は<フセイン旧政権に不服従の姿勢を示し、99年に暗殺された>高名な宗教指導者で、<シーア派では「殉教」のシンボル>だというから、反フセイン勢力だという情報に間違いはないだろう。

つまり、アメリカは反フセイン勢力と戦い始めてしまったのだ。
「フセイン独裁政権を倒すため」に侵略戦争を起こしイラクを占領したアメリカが、今度は反フセイン勢力に対し爆撃を行っている。事態は泥沼化する一方だ。今は事態を静観している民衆も、そのうち反アメリカで団結し蜂起するやもしれぬ。

「イラク支援」などという言葉で態度をごまかし続けている日本人も、最悪の事態に備え、いよいよ覚悟を決め態度を明らかにするべきではないだろうか?

イラク民衆vsアメリカ連合軍
どちらにつくのか?
小泉首相ではない。もちろん防衛庁でもない。
まずアナタ自身が、日本人ひとりひとりが態度を明らかにするべきだ。
どちらにもつけないというのなら、即座にイラクから軍を引き揚げるしかない。
オレはどちらにもつけない。だから撤退の道を支持しよう。

さあ、アナタはどっちにつくんかい?
迷ってる時間なんかないよ。
今回の衝突があったナジャフ(An-Najaf)と自衛隊が駐留しているサマーワ(As-Samawah)はどっちもユーフラテス川沿いの地方都市。わずか120kmしか離れてないんだから。


< >内:『朝日新聞2004年4月6日<西部本社第10版2面>』

『週刊文春』よ、足を引っ張るなかれ。<その7> 2004,4,5
<4/2より続く>

6)政府のモクロミ

長女側が高裁判決に対し、不服申し立てをしない方針を固めたそうだ。これで出版禁止の取り消しが確定。今後は損害賠償訴訟となる。前回書いた通り『週刊文春』のやったモン勝ちを許さない判決を望む。

本題に戻る。さて、オレがこの問題で一番危惧していること。それは、事態が公権力たる政府のモクロミ通りに進んでいるのではないかということだ。

事件直後の3月19日、発行元の文藝春秋社は以下の声明を出した。
「定期刊行雑誌の事前の販売差し止めは、当該記事のみならず掲載記事すべてにかかわる表現の自由の圧殺にほかならない。~(中略)~今回の決定が前例として定着し、事実上の検閲の常態化に道をひらき、国民の知る権利を奪う結果に至ることを憂慮して、高等裁判所の判断を仰ぎたい。(※2)」

出版禁止が定着することを憂慮する。もっともな声明だ。
だが、不用意なプライバシー侵害で公権力の介入を許してしまった時点で、既に「表現の自由」は脅かされてしまったのではないだろうか?

この章のはじめに書いた通り、今回の出版禁止は結局取り消しとなった。だがそれでもなお今回の事件は政府にとって追い風となるだろう。私人に対するプライバシー侵害。しかも被害者は人気の田中真紀子元外相の娘。当然ながら出版禁止に対する世論の賛否は別れ、反対運動は盛り上がらなかった。むしろプライバシー保護のためには出版禁止もやむなしとする意見が浮上したと言える。昨年成立した「個人情報保護法」の運用にあたっても、雑誌に対しより厳しく運用できる道を開いたといっていいだろう。

さらに恐いのは、先にも書いた「初めの抵抗のクリア」だ。今回の事件を機に言論弾圧を狙う政府に対する危機意識が高まればケガの功名といえる。だが今後より深刻な問題を抱える出版禁止決定が下されたとしても、今回ほど騒がれない恐れがある。マスコミは初物に弱い。さらに今回の事件が『週刊文春』+「田中真紀子の娘」という極めてメジャーな取り合せだっただけに心配だ。もし出版禁止となっても騒がれなかったら、それだけで政府のモクロミ通りになったといえるだろう。

<4/7に続く>


(※2)株式会社文藝春秋の声明文(2004.3.19付、株式会社文藝春秋)

即日開票なんかやめちまえ! 2004,4,4

ここに掲載しておりました文章は下記アドレスに移動いたしました。




『即日開票なんかやめちまえ!』

[http://blog.identitymarket.net/?eid=513274]

the growing green (continue) 2004,4,3
3/17の日記でも書いたgreenが遂にリニュオープン!
いやぁ、期待通りいい感じのクラブになっちまってましたぜ。

まずバーエリアがバッチシ良くなった。ダンスエリアと完全に壁で仕切られ、しかも数十人が入れる広さ。トイレも男女別々だし、ロッカーも店内に移動。これならオトナを呼んでも大丈夫だ。

そしてダンスエリア。壁とDJブースを作ったせいか広さはそれほどでもなくなったけど、それでもいま熊本じゃ一番かな?(街の規模の割に市街地の地価が高く、しかもかなりの売り手市場という熊本にあっては、広いクラブは望めんのデス)
green名物、緑色レーザーも角度と動きが格段に進化してパワーアップ。推定20坪のフロアでレーザー飛ばして、それがミラーボールで反射して飛び散って、んでスモークなんか焚かれたりすりゃぁ、そりゃもうそんだけでヤバイでショウ。

減点材料はドリンクかな?カクテルの味はこれから技磨いてもらうとして、自動券売機の導入はどうも好かん。店は楽になるんだろうけど、客にとっちゃぁ味気ないだけ。ペラペラの紙切れにダサダサ印字で「スプモーニ」じゃぁ、酒の味もマズく感じるってモン。牛丼屋ならともかく夜の店なんだからもうちょいスタイル考えなきゃ。せめてコインを使うとかしてね。
わざわざ入口まで買いにいかなきゃいかんのも、入場の時はいいけど、後から飲みたくなった時はちょちょめんどいし、せっかくハイになってもこれで覚めちまう。

あと椅子がチャチぃね。夜の店で使う椅子じゃない。ま、これはゆくゆく改善してもらえばいいか。

えっ?音はって? もちオッケーですぜ!
朝まで工事入っててロクに調整する時間も無かったっていうのに、その日の夜にはもうイイ線いってたから、もともとハコの素性がいいんだと思う。greenの音響やってる人はもとから腕いいしね。(たぶん)
あとはマイクがハウらず使えるかどうか? 4/2、4/3はマイク使ってなかったから、これはまだ不明。

ま、そんな感じでオープンしたgreen。
DJ足りてるみたいだし曜日もうまく合わんかったんで、とりあえずレギュラーでは回さんことにしましたデス。誰かのイベントでお呼びがかかったらひょっこり回すんで、そんときはよろしゅうに!

あ、nehan(3/17参照)は機をみてやりますぜ!乞う誤期待!

『週刊文春』よ、足を引っ張るなかれ。<その6> 2004,4,2
<昨日より続く>

そしてもう一点。今後起こされるであろう損害賠償訴訟で、どれぐらいの賠償額が科されるか?これを注視していかねばならない。

実は部数減に喘ぐ週刊誌の中にあっても『週刊文春』は特に不振が著しい。ポスト、現代、文春、新潮のメジャー4誌の中でも、ここ10年間で実売部数を一番落としている。一昨年、長期低落傾向に歯止めをかけ部数を伸ばしたのだが(おそらく部数アップの一番の貢献者は、他でもない「秘書給与疑惑」の田中真紀子元外相であろう)、去年は再び大幅ダウン。かつて部数を競っていたポストや現代に水をあけられてしまった。編集サイドに売上回復の圧力がかかっていたことは間違いないだろう。

いや、今回の記事が売らんがための確信犯だったと断じるつもりはない。これは『週刊文春』のモラルの問題であり、『週刊文春』を信じるか信じないか読者ひとりひとりが決めればよい問題だ。

だが結果として、今回の出版禁止によって『週刊文春』の売上は大幅に伸びた。昨年の平均実売部数約55万部からすれば、売場に出たものはほぼ完売し、これから売場に並ぶ3万部+書店の判断で保留されている分も売れるとすれば、合計77万部売れることになる。20万部以上の大儲けだ。先週、そして今週の事件特集号も売れただろうから、儲けはさらに大きくなる。

どのくらい儲けたのか?これは単純には出せない。出版禁止になった3/25号に限れば、本体価格305円×22万部=約6700万円がトータルの売上増加分。このうちマージン制である書店と取次の取り分を計3割と仮定すれば、出版元の文藝春秋社は約4700万円儲けたことになる。売れ残って返品された分の流通経費や処分費用が計算に入っていないが(どういうしくみになっているのか知らないデス)、恐らくこれに近い金額を儲けたはずだ。もちろんその後2号にわたる事件特集号で伸ばした儲けもこれに上乗せされる。

この一連の儲けを帳消しにするぐらいの損害賠償額が科されなければ、結局、プライバシー侵害を犯した『週刊文春』のやったモン勝ちになってしまう。金額の妥当性はともかく、1億円に近い賠償額とならなければ、部数ダウンに苦しむ各誌が『週刊文春』に倣って次々とプライバシー侵害を犯す事態となりかねない。

<4/5に続く>


<参考資料>
『朝日新聞2004年3月24日<西部本社第10版3面>』(朝日新聞社、2004)

『週刊文春』よ、足を引っ張るなかれ。<その5> 2004,4,1
<昨日より続く>

4)「公人/私人」

残念ながら「公人」「私人」を厳密に定義している法はない。法がない以上、<グレーゾーン>も存在する。
例えば田中真紀子元外相は、一昨年の夏に議員辞職してから先の衆院選で復活当選するまでは「公人」ではなかった。しかし失職中も彼女の言動は政界に対して影響力を保っていたし、彼女自身も政界復帰を否定していなかった。この状況を考えれば「私人」として報道が制約されるべきではない。極めてクロに近い<グレーゾーン>といえるだろう。

だが田中真紀子元外相の長女については、本人が政界進出を否定している限り、明らかに「私人」である。
<現在の長女やその配偶者の意思とは関係なく、彼らが将来、田中家の後継候補となる可能性がある>・・・バカな!本人の意思が一番大事なのだ。「すべて国民は、個人として尊重される」・・・日本社会全体において未だ認識の至らぬ、憲法13条の条文だ。

<田中家の後継候補となる可能性がある>・・・彼等の推測は否定しない。いや、大いに可能性があるだろう。だが、(たとえ母親が政界の重要人物であるにせよ)尊重されるべきは本人の意思。だから将来、長女が政界進出を表明したならば、その時記事にすればよい。今回記事にした事も含め、大いに書き立てればよい。
本人が「公人」を目指す意思を公言した時点から、<グレーゾーン>として扱うべきだ。オレはそう考える。


5)高裁決定と損害賠償

出版禁止取り消しの高裁決定が出された。
記事のプライバシー侵害は明白だが、出版禁止にするほどの内容ではなかったという判断だ。
始めに断った通り、オレは問題の記事を読んでいないので、出版禁止の是非についてはここでは言及しない。この文章の主題は、言論封じ込めを狙う公権力にどう対抗するべきかであり、そのためには今回の『週刊文春』のような失態を犯してはいけないということである。

とりあえず地裁より穏健な決定が下されたということだ。だがこれから舞台は最高裁に移される。国が被告となる裁判でよくあるパターン:地裁で国側勝訴→高裁で原告側勝訴→最高裁で国側勝訴。同じことが起こらないとも限らない。まだまだ油断は禁物だ。

<明日に続く>