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熟蔵

「虎とバター」

砂漠のまん中に、老いた樫の木が、1本、ぽつりと立っていた。
ある晴れた昼下がり、1匹の虎が、そこへやってきた。
自分はなぜやってきたのか?
虎には理解できなかった。
ただ樫の木の匂いをなぜか「なつかしい」と感じ、その匂いに引きよせられていた。
樫の木の根本に近寄ってみると、その「なつかしい」匂いが強く感じられ、虎の頭の中は真っ白になった。
そして、虎は樫の木の回りをぐるぐる回り始めた。
ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。
そして虎は、バターになった。



老いた樫の木の根本を、ドーナツ状のバターが囲んでいた。
昼下がりの灼熱の太陽がバターを熱し、バターの匂いが、あたり一面に広がっていった。

バターの匂いに引き寄せられ、1匹のラクダがやってきた。
ラクダは樫の木を囲んでいるバターを無心になめつづけた。
ラクダはバターの味をなぜか「なつかしい」と感じ、バターをなめ終わったとき、ラクダの頭の中は真っ白になった。
そしてラクダは樫の木の回りをぐるぐる回り始めた。
ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。
そしてラクダは、ババロアになった。



老いた樫の木の根本を、ドーナツ状のババロアが囲んでいた。
灼熱の太陽はババロアを熱し、ババロアの匂いがあたり一面に広がっていった。

ババロアの匂いに引き寄せられ、1人のヒトがやってきた。
ヒトは樫の木を囲んでいるババロアを無心に食べつづけた。
ヒトはババロアの味をなぜか「なつかしい」と感じ、ババロアを食べ終わったとき、ヒトの頭の中は真っ白になった。
そしてヒトは樫の木の回りをぐるぐる回り始めた。
ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。
そしてヒトはプリンになった。



老いた樫の木の根本をドーナツ状のプリンが囲んでいた。
相変わらずの灼熱の太陽がプリンを熱し、プリンの匂いがあたり一面に広がっていった。

しかし何もやって来なかった。
日が暮れ、夜が過ぎ、次の日になっても、何もやって来なかった。
次の日も。その次の日も。
プリンは腐り始め、悪臭を放つようになった。
そして幾つもの昼と夜が過ぎ、
プリンは次第にくずれ、
なくなっていった。


1991.5.28 宮原春萌
<『Crazy Garden #1』(Usen440:(株)大阪有線放送社、1991.6.6 / 6.13放送)>



●解説●
 大阪有線(Usen440)の番組のために書いた脚本。当時オレは、『Crazy Garden』という隔週で更新していく10分のミニ番組をまかされており、9ヶ月で計18本の作品を製作している。この作品はその第1作で、 1991年の6月6日と13日に計48回放送された(はず)。
 虎がバターになるというのは、もちろん『ちびくろさんぼ』をモチーフにしている。当時は『ちびくろさんぼ』廃刊騒動〔※〕の記憶がまだ新しい頃。腐ったプリンが土に還らずに「腐り」、「悪臭」を放ち、そしてしまいに「なくなって」しまうのは、『ちびくろさんぼ』廃刊の無意味さを暗に訴えているからである。多チャンネルのひとつとはいえ、北海道から石垣島まで流れる有線放送で番組を持つにあたり、この姿勢はどうしても最初に示しておきたかったのだ。

 なお『Crazy Garden』は音楽とストーリーのミックスという手法で作っていた番組であり、この作品では次の3曲を使用している。
   ・Govardhana / Ramnad Krishnan
   ・Anthem Of The Trinity / Terry Riley
   ・Lullaby / Collin Walcott, Don Cherry, Nana Vasconcelos
 インド声楽の名歌手ラムナッド・クリシュナン。そしてインド音楽に傾倒した欧米人テリー・ライリーとコリン・ウォルコット(Oregon、 Codona)。選曲にも『ちびくろさんぼ』騒動へのメッセージを込めているのだが、書き出したらキリがないのでここでは省く。3人ともメジャーな存在なので、ネット検索をかければ日本語サイトでも色々ヒットするはずだ。(2004.5.3)


〔※〕『ちびくろさんぼ』廃刊騒動
 『ちびくろさんぼ』は黒人差別だという投書をきっかけに、1988年、各出版社から出ていた絵本が一斉に廃刊になった事件。および事件後数年間に起きた一連の騒動のこと。物語の差別性の有無と同時に、差別問題を正面から捉えず逃げるように廃刊を決めた出版社、さらには学校、図書館、家庭での廃棄を求めた長野市についても議論が起きた。
 なお、この事件のあらましについては下記2サイトに詳しく、オレも参考にさせて頂いた。
■信太一郎、 『日本語と隣の国から世界を見る』>雑考雑記>「『ちびくろサンボ』の廃刊と再刊に思う」(2004、信太一郎、2004年5月3日現在掲載版)[ http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/Sambo.htm]
■玲奈、『ちびくろさんぼのちいさいおうち』(2001、玲奈、2001年9月17日更新版)[http://www.genpaku.org/sambo/story1.html]
 またオレ自身の意見は「裏凡identity market」の2004年5月3日、4日に表明しておく。



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