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frank zakki fz9
「金の光」 |
ヤツは突然現れる。
真夜中の国道。
街の灯りが途切れ消え、
闇のさなかに入るとき、
前ぶれもなく現れる。
闇の中に林立するオレンジの光。
か細く、頼りなく、不規則に群れ、
その蛍光を闇夜に放つ、
音もなく。
光は間もなく後ろへ流れ、
闇の中に溶け消える。
夜道を走るドライバーなら一度は遭遇したことがあるはずだ。
いたる所に現れる、闇に群れ立つオレンジ光。
オレも昔から幾度となく見てきたはずだ。
ところがつい最近までは気にも止めてなかった。
つい最近、あの光景に遇うまでは・・・・・・。
Z
5月のある日。
オレは岡山での仕事を終えて、車を西に走らせていた。
万年金欠症のオレに高速なんか使えない。
行きも帰りも当然一般道を使う。
倉敷を過ぎれば2号線も田舎道。
ただひたすらに西へ行く・・・
・・・の、つもりが、いつしか道に迷ってしまった。
疲れていたのかもしれない。
いくら夜中の道といえ、天下の国道2号線。
標識はちゃんと整備されてるし、
だいいち今までに何遍も通った道だ。
普通だったら迷うはずもない。
疲れていたのかもしれない。
いや、
憑かれていたのかもしれない・・・。
Z
とにかく走る。迷ったときはこれしかない。
道はどこかに通じてる。そのうち標識もあるだろう。
ひたすらオレは夜道を走った。
ところがしかし、いくら走れど闇の中。
手掛かりひとつ、つかめない。
さて弱ったなと思ったその時、
突然ヤツが現れた。
闇の中。無数に林立するオレンジの光。
ヤツはあたりを埋め尽くし、山の果てまで続いてた。
か細く、頼りなく、不規則に群れ、
それでも果てまで続いてた。
「車を止めるな」
直感がオレに命令した。
別に怖かったわけじゃない。
ガキの頃から暗闇やら肝試しやらには滅法強かった。
好奇心や探求心の強さは今もってガキンチョ並だ。
だがしかし、もうひとりのオレらしき存在が、オレの意識に命じてた。
「トマルナタチサレ!ココハオマエノイバショジャナイ」
オレは素直に従って、アクセル踏み込み加速した。
そして間もなく、国道に出た。
拍子抜けする程にあっけなく。
Z
もちろん金光教の存在は知っていた。
その総本山が岡山にあることも知っていた。
だが、暗闇に輝く無数の光、
寡黙に群れ立つオレンジ光を前にして、
オレを支配したのはそんな理性なんかではなく、
得体も知れぬ、もうひとりのオレだった。
Z
あれ以来、たびたびヤツに遇うようになった。
いや正確には、ヤツが見えるようになったと言った方がいいだろう。
岡山のソレとは比べ物にならないぐらい小さいけれども、
ヤツはまぎれもなく、岡山のアノ光につながっている。
オレンジ色の蛍光灯を「金の光」と信じるわけじゃない。
だが暗闇の中、ヤツが突然現れたとき、
オレを支配するのは今でも理性なんかでなく、
得体も知れぬ、もうひとりのオレである。
そして、
人間の「信じる」行為を盲目にし食い物にするバケモノ・・・
そんな宗教の恐ろしい一面、
地球上のあらゆる宗教が必然的に持つ麻薬的な一面を、
うすら覚えるのである。
Z
宗教は麻薬である。
使い方によって己を高めることも陥れることもできる。
それを知らない政治i家は、政教分離を貫くべきだ。
中毒患者に政治は出来ない。
2001.8.22. 宮原 春萌(identity market 代表)
<「IM... identity market 31号」(2001.9.1.発行)より転載>
●解説●
5周年記念号の休載を挟み31号に書いた作品。テーマ(SPECIAL ISSUE)は「信じる/疑う」。
文中の「オレンジの光」は、本来、果樹園等で虫除けに使われる「黄色灯」という特殊な蛍光灯のこと。金光教が好んで使用している。(実際、「自分も見つけた。金光教の支部もあった。」と読者からのメールも来た)
「ヤツはまぎれもなく、岡山のアノ光につながっている」と書いているが、もちろん全ての「オレンジの光」が金光教だと言っているのではない。言いたかったのは、総本山の「無数に林立するオレンジの光を目撃すると、その後いかなる場所で「オレンジの光」を見ても、否応無しに総本山を思い出すようになってしまうということだ。
「神秘体験」によって潜在意識を支配しようとする宗教の恐さを書こうとしたのだが、「恐ろしさ」を表現しようとするあまり、抽象的になり過ぎてしまった。こういう題材を扱うのはやはり難しい。(2004.2.26)
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